教会の庭の花 日本キリスト教団 渋川教会
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信徒の証
     「信仰告白」

 渋川教会に足を運んだきっかけは、仕事で悩み、苦しんだことです。
 介護の仕事をしている私は、職場が昨年1月にデイサービスから老人保健施設になりました。施設介護は心身の負担が大きく、人間関係のストレスも多かったため、次第に食欲が減退し、熟睡できないようになりました。
 そんな中、ふと家にあった聖書を手に取り読んでみると、少し気持ちが落ち着き、辛さが和らぐように思われました。また、三浦綾子さんの小説に出会った影響も大きく、読むうち、キリスト教への関心が高まり、教会に行ってみたいと思うようになりました。
 そして渋川教会に出会うことができました。牧師の臂先生から、神様が私のことを愛してくださり、苦しい時辛い時にともにいてくださる、と言われ、私のために祈ってくださいました。その時は本当に救われた思いがしました。 その後礼拝と祈祷会に参加し、毎晩お祈りをするようにもなりました。
 ただ、やはり職場は肌に合わず、何度も退職を考えましたが、体調を崩して2か月間休職することになりました。
 休職後、職場が変わり新しい職場に慣れるまでのストレスや苦労はありましたが、次第に健康を取り戻し、仕事を続けられるようになりました。
 今は今回の苦難も神様のご計画であり、主イエス様がその間、ともにいて愛を注いでくださったのではないかと思われます。
 受洗後の教会生活として、まずは礼拝と日々の祈りを大切にし、聖書を少しずつでも読んでいきたいと思います。またこどもの教会に参加し、子どもたちと関わっていきたい、と考えています。
 さらに障害をお持ちの方、高齢の方に少しでもお役に立てればとも考えます。
 以上が私の信仰告白です。
                 (2023年5月)

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     「信仰告白」

 私は小学3年生の頃から教会に行っていました。その頃から、聖書・讃美歌を知りました。その頃(子供の時)は教会に行った理由はわかりませんでしたが、今考えると母が私に新島学園に行ってもらいたくて教会に行かせたかったと思います。
 新島学園を卒業した事は今でも私の誇りに思っています。その新島学園では宗教という科目があり、そこで聖書・讃美歌を習います。授業前に礼拝があり、校内放送・礼拝堂(学園内)・教室で受け、牧師さん(宗教科の先生)の説教を聞きました。聖書に沿った話もあれば、その当時のニュースを聞いて思った事を話した事もありました。
 私が聖書を読んだり、牧師さんの説教を聞いて、イエス様に出会えたと思ったのは「人はパンのみで生きるものではない」(ルカ4−4,マタイ4−4)という言葉を聞いた時です。イエス様が言いたかった事は「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4−4)だと感じました。悩み苦しんでいる時に楽して答えを出そうとしないで信念を持って考えて答えを出しなさいと解釈しました。
 「あなたの神である主を試してはならない」(マタイ4−7)は勝手な決めつけをしない、知ったかはやめなさいと解釈できます。
 私が人と関わる時に心掛けているのは「兄弟のおが屑は見えるのに、自分の丸太は気付かないのか!」(マタイ7−3)です。自分の欠点・失敗よりも他人の欠点・失敗の方が気付きやすく且つ自分の利点・成功を主張したがるものです。しかし、自分の欠点・失敗を認めないと進歩・成長はないし、ましてや反省・感謝はないと心掛けてます。その点を感じると「人は罪人である」し、「私は偽善者みたいな行為を取っている」と思います。「ファリサイ派と徴税人の例え」(ルカ18−9〜14)では生きて必ず体験する事です。「誰でも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(ルカ18−14)の所です。
                 (2023年4月)

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   「洗礼を受けて」

 曽祖父は大工から棟梁となった人で、祖父をキリスト教系の学校へ入れようとしましが、彼は行きませんでした。彼は、先の大戦に行き、同じく、彼の兄弟を戦争で亡くしました。私の家での雰囲気もその様な背景を、雰囲気を現していたのかなと思い出されます。
 建築士の自分は、建築の構造一級建築士の勉強をしていて、参考に雑誌ニュートンを読み、相対性理論の歴史、時代など学びました。同じく、慶応大学の制御工学の講義をユーチューブで閲覧しました。洗礼の告白文の発表の後、先輩方のクリスチャンの心得、洗礼の為の勉強会にて、悔い改め、罪の意識を持つことと学びました。帯刀が無くなった年、東大が出来て、その時、特殊相対性理論は出来上がっていた事、第一次世界大戦でも、新しい兵器は甚大な被害をもたらす事、東京裁判、日本に足りなかったものは、悔い改め、罪の意識かと考えました。ただ、戦争の事だけでなく、礼拝で学んだ節、神の国、実はあなた方の間にあるのだ、と。自分は離婚しました。お互い塩を持ちながら、共に歩む事は、楽な事ではない。と知りました。実家の倒産もあり、ただ、悔い改め、罪の意識、残された人生を、神の国が来るように願い。受け入れ難い自分自身を抱き上げてくださった主イエス様を、信仰として、いと小さきもの、子供たちのように、純粋無垢とは言わないが、高齢の母の後の自分の一人の人生を、神の国が来るように、悔い改め、罪の意識で歩みたいと、悔い改めます。洗礼を受けて、大変良かったです。ありがとうございます。
                 (2020年12月)

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    「明るい方へ」

 私の生まれは決して平坦なものではありませんでした。父が4才の時に亡くなり、私にとっては とてもとても悲しい死でした。母は母子家庭で一生けんめい 女手一つで育ててくれました。
 私は小さな頃から 人に迷惑をかけてはいけないと 自分の気持ちが言えず、感情を押し殺して 生きてきました。父が亡くなってから 親子で 心の寄り処を求めて信仰を求めましたが そこは異端のキリスト教で苦行も多く 色んな人にお世話になったのですが 魂の安らぎは得ませんでした。
 ただ小さい頃から一人で居ましたので寝る前に一人ぶつぶつ 神様に今日あった事をお話ししたり 聖書のお話を聞くのは好きで 大きくなったら普通の教会に行きたい それが私の願いでした。 中学に入り 唯一心を許せていた祖父が火事にまきこまれて亡くなりました。焼け跡をみた時 父の死もそうでしたが 命ははかない 一瞬でなくなる 私の思春期のアイデンティティは 揺らぎ まどい さまよい 私の心は ブラックホールに落ちていきました。
 後に幼なじみの女の子も亡くなってしまうのですが、悲しみを通り越して ただ心がぼう然となり 心が病んでいきました。
 学校に行けなくなり 成長して大人になっても心に暗い闇を抱え 人が怖い 仕事が続かない 死にたくなってしまう衝動が抑えられず 冷や汗がでる思いで 柱にしがみついて 一日生きるのが 精いっぱいでした。
 色んな病院を転々としましたが 理由がわからず悩んでいました。ある時 幼少期の傷が原因で体調が悪くなることがわかり、群馬に良い先生がいると 心を決めて 一人で群馬に来ました。幸いとても良い病院で 今でも実家のようにお世話になり 元気になってきたのですが それとは別に 魂の奥底が乾いて 乾いているのに気づくようになり それは日に日に強まり たまたまネットで たまらなくなり 検索したら 渋川教会のHPにたどりつきました。でも前の教会の事がありなかなか一歩を踏み出せずにいました。
 ある時スーパーに行くつもりで運転していたら 自然に教会の前まで来ていました。あたたかく迎えて下さり、先生が聖書の 野の鳥のところをお語りでした。まず第一に神の御国を求めなさい そうすれば何一つ備えられている その言葉がパーンと胸の中に入っていき 私のかじかんだ心の中は溶けていき 涙が止まりませんでした。そして来週も再来週も 一番隅でよいから教会に座らせて頂きたい 置いてもらいたいと思いました。
 初めて教会から帰った 帰り道 空がいつもより近くてとても澄んで輝いて見えました。そして私の心の中にきれいな きれいな色が つきはじめました。 4月 イースターに洗礼を授けて頂きました。でも私は弱い未熟な人間で 何かあると古い形に戻ろうとして 一人頑なになって 心も教会や神様から離れて 心配して 人にも心を固くしてしまう時があります。でもそんな時に金子みすずの詩にあるように「明るい方へ 明るい方へ 陽のもるところへ やぶかげの草」とありますが 未熟なそのままの姿でいい そういう時にこそ 礼拝に 教会に 明るい方に身を置きつづけることが大切だなあ わからなくても 神様が すべてを正して 教えて そして何よりそんな私を待っていて下さるのだなぁと思いました。
 私は今、どんないやな事があっても 死にたいとは思わなくなりました。未熟な私ですが 渋川教会に 置いて頂き あたたかくして頂いていますこと 心より感謝しています。
                 (2020年4月)

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   「洗礼をうけて」

 私は、2016年8月の平和聖日に洗礼を受けました。過去を振り返ると幼少期に神様と出会って以来、転換期毎に神様は離れた私を呼び寄せて下さいっていたように思います。

 聖書は私を強めてくれる、賛美歌も熱いものが込み上げる程心に響く、しかしクリスチャンにならなくても聖書を読み、賛美もできる。そのように思っていた私が信仰を持つに至った経緯には、人生最大の辛く苦しい経験がありました。
もう立ち上がれないのではと思える程の厳しい現実の中で、「ただ楽になりたい、けれど幼い二人の子を守る義務がある、自分はこの先どこへ向かえばよいのだろう…」と悩み、考えあぐねる日々が八年間続くことになりました。以前、職場の牧師先生に声を掛けて頂き、敷地内にある教会でささやかな奉仕をさせて頂いていた時期があります。疲れた私は、心満たされていたその時を思い出し、次女を連れて学生時代に一度だけ訪れたことのある渋川教会に足を運びました。

 教会では皆さんが温かく迎えて下さいました。孤独に安らぎを感じていた私は、溢れる優しさに少々戸惑いましたが来週も必ず来ようと思える安心感を持ちました。教会に集うようになってからは、鎖が一つひとつほどけるように気持ちが楽になるのが分かりました。そして、“罪を悔い改め、聖書の教えに従い、神様につながって歩んでいきたい”と思えるようになった時、受洗を決意しました。

 受洗準備の勉強会は、5ヵ月間土曜日毎に行って頂きました。その間、臂牧師にはお子さんが誕生され、そのように大変な中にあっても継続して私を導き、娘たちの為に祈り、守って下さったこと本当に感謝しています。
洗礼を受けるにふさわしくないのではないだろうか…と思う私に柳瀬牧師は、「自らの弱さを知り謙虚に神様に従い歩もうと努力する人々が教会に集っているのです」とお話しして下さいました。

 神様は、私が大切なものに気付くために必要な試練を用意され、最善の時を備えて下さいました。これまでもそうであったように、これからも神様のご計画の中で一歩ずつ歩んでいきたいと思います。
                 (2016年8月)

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