教会の庭の花 日本キリスト教団 渋川教会
HOME ご案内 集会案内 信徒の証 "たびじ" 行事予定 行事の様子 アクセス リンク
渋川教会報「たびじ」
No.110 2023.11.26
【巻頭言】
  「我らに罪をおかすものを 」

 渋川教会はこの秋、相次いで信仰の友をお二人天にお返ししました。お二人共、当教会での信仰生活が四十年以上であり、祈祷会や礼拝、婦人会を大事にされ、信愛幼稚園でのお働きもされてきたご婦人でした。日曜日に講壇に立つと、いつも座っていたあの方の姿がもう見られないことを思い、何とも言えない寂しさが心を襲います。以前、当教会を牧会された生地牧師は「教会の繋がりって、親せきや家族よりも濃いことがある。多い時には週に三回も四回も教会で会っていることがある。遠くに住んでる伯父さんなんか、たまにしか会わないのに比べたら、教会の付き合いは濃いし、特に渋川教会は濃い。」と話されていたことを思い出します。創立百年以上の教会ですから、その濃さは良くも悪くもあり、時には傷つくこともあるのでしょうが、結局は主イエスを見上げる友として歩んで来ているのが私たちの教会ではないかと思うのです。
 人が共に生きていく時に人間関係で傷つくのは当然、しかしその傷さえも生かされている恵であり、その経験があるからこそ人間の幅が広がるのではないかと思うのです。自分にとって都合の悪い不快な人間関係を断てば幸せになると私たちはどこかで勘違いをしているかもしれないのですが、本当にそうかと最近疑問に思うことがあります。主イエスは多くの弟子たちの中で特に十二弟子を選ばれ「使徒」とされました。しかしこの弟子たちは、いつも主イエスに従順で協力的であったかと思えば、むしろ無理解であり、そして十字架に主イエスが掛けられた時には真っ先に逃げるような薄情者でした。主イエスは彼らが自分を裏切ることをご存じでありながらも、関係を断たれることは無かったのです。愛しながら共に歩まれました。しかし主イエスを裏切るのは弟子たちだけでなく、時には私たちも主イエスに背を向け、深い愛の招きに応えずに罪に彷徨うことも覚えておきたいものです。
 この度、亡くなられた一人の姉妹は、訪問する度に以下のことを話されていました。「私も罪人、あの人も罪人、この人も罪人。でも主イエスの十字架により全てが許されている。一時、私は主の祈りの『我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく 我らの罪をもゆるしたまえ』と祈ることが出来なくなった。そういう苦しい経験から、主イエスの贖いをより知ることが出来た。」信仰が無ければただの人間のみっともないイザコザになるのでしょうが、苦しさの中で祈る経験はその人の信仰の深い養いになることを教えていただきました。
 あの人も居て、この人も居て、そして私も居る。自分の好き嫌いに関わらず色んな人がいることは、本当はとても楽しいことで恵です。世界を見れば相次ぐ戦乱の中でどうして分かり合えないのかと心苦しくなりますが、「共に生きる」というこの一番簡単そうで一番難しい目標を私たちは主イエスの姿に学びつつ目指したいと思います。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.110 2023.7.2
【巻頭言】
   「 朝のラジオから 」

 最近はあまり聞かなくなりましたが、以前、長女を前橋の幼稚園に通わせている時には車内でFM群馬をよく聞いていました。大阪から転居してきて久しぶりの関東、市町村合併で県内でも分からない地名が多く、ラジオを聞きながら群馬もだいぶ変わったなあと思っていました。朝流れていたのは、ちょうど同じ時期に放送が開始された「WAI WAI GROOVIN’」という番組で、藤岡出身の内藤さんという方がパーソナリティーをされています。凝ったラジオネームで笑ったり、また子育てをしているお母さんの悩みのメールが紹介されたり、慣れない渋川の地で牧師と母親という二足の草鞋を履きこなせない私にとっては他人事とは思えないメールもあり、ああそうか、大変なのは私だけじゃないなと思いながら聞きました。はじめは気に留めていなかったのですが、ラジオの中で内藤さんが度々、「ふんばって」と言われるのが耳に残るようになりました。「頑張って」ではなく、「踏ん張って」。つい相撲取りが四股を踏む様子が思い出され、少し泥臭いこの表現が朝の耳に響いたのでした。
 その頃、私は度々、色々な方々から「先生も大変だと思うけど、頑張って。」と励まされ、ありがたくその言葉は頂くのですがとても苦しくなるのでした。時間も精神的にも経済的にもカツカツ、目の前のことで手一杯、私はもうこれ以上頑張れない・・・。甘いとお叱りを受けるかも知れませんが、辛かったのです。その中で「頑張る」のではなく「踏ん張る」という言葉は、何故だか心にすんなりと納まりました。先の見通しが立たない生活の中で、不安は焦りとなり、心が落ち着かない中でも、とりあえず今日一日、いやこの時だけでも「踏ん張って」みようか、とラジオの声に励まされ車を走らせました。  さて、お相撲さんが四股を踏むのはただの準備体操というだけではなく、四股は「醜(強いもの、醜いもの)」に通じ、四股を踏むことで地中の邪気を祓い大地を鎮めるとの意味もあるそうで、その精神世界も興味深いものです。しかし、もしかしたら本当に厄介なのは自らの心の中にある弱さや罪深さではないでしょうか。平安が無く、人の励ます「頑張ってください」の言葉も素直に受け取れない、トゲトゲした心かも知れない。そんな不安に取りつかれた心に平安を与え、踏ん張れるようになるには、主イエスの言葉が必要ではないでしょうか。
 主イエスは山上の説教で「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで充分である。」(マタイによる福音書6章34節)と語られました。イエス様は面白い方です。「苦労」や「思い悩み」が無くなるとはおっしゃらない、「苦労」も「思い悩み」もあるけれど、しかし明日のことまで取り越し苦労をして心騒がせるのではなく、今日すべきことをしたら良い、それで充分だよと語っておられるのです。とにかく、踏ん張ってみる。考えてみたら明日生きているかどうかも定かではない中で、先々の心配に押しつぶされそうになるのは大変、傲慢なことではないでしょうか。今日を充分に生きてこその明日であり、それ以上求めることもしなければ、求められてもいない。今まで以上に予測不可能な時代が続く中で、「その日の苦労はその日だけで充分である。」というこの大事なみ言葉を思い出しつつ、四股を踏むように踏ん張って歩みたいと思います。この時期、様々なご苦労をされている方々が、主イエスにより支えられますように。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.109 2022.11.27
【巻頭言】
 「 種をまく喜び・収穫する喜び 」

 11月上旬に兵庫県の芦屋大学の教授で教育学をご専門にされている三羽光彦さんという方からお電話を頂きました。三羽さんは農村地域での教育が明治大正時代にどう展開されているかを研究されているとのことで、当教会の初代牧師栗原陽太郎さんについて調べさせて頂きたいという要件でした。今、伊香保に泊まっているので、よければ明日、資料などを見させていただけないかとのことで、私は大変に慌てて百年誌編纂の時に整理した資料、陽太郎牧師や道雄牧師の所蔵資料も含めて揃え、どうしたことか江川栄先生が陽太郎牧師について書かれた『太郎物語』が見当たらず焦りましたが(その後、見つかる)、教会の役員さんや陽太郎牧師と直接面識のあるN兄にも同席をお願いし、その方のご来会に備えました。三羽さんはキリスト教が御専門の方ではありませんが、明治大正期に日本においてキリスト教が教育に果たした役割、またそれは地方や農村部においても大きな働きがあったことを、他の地方の例も含めてお話して下さり、大変に貴重な時となりました。特に栗原陽太郎先生については教育学的に見ても大変に興味深い人物であり、先行研究や評伝が何も残されていないことが残念とのことでした。こうして栗原陽太郎牧師と渋川教会にご興味をもたれた方がいることを嬉しく思い、またそうした歴史の重要さを理解していないで牧師をしている自分を反省しているこの頃です。   陽太郎牧師がカリスマ的な人気で地域においてまさに「種を蒔く人」として広く伝道されたのに対し、2代目道雄牧師はそこで取りこぼされたと思われる様な事柄について、丁寧に、誠実に牧会されたことを同席されたN兄がお話くださいました。
 陽太郎牧師が伝道への志を持って伝道新聞『種を蒔く人』を広く配り歩かれたように、伝道は「種まき」に度々たとえられます。フランスの画家ミレーの「種を蒔く人」のあの武骨な農夫をイメージされる方も多いのではないでしょうか。そして現に、種を蒔くことは地道な作業であり、決して華々しい働きではありません。頑張って蒔いてみた所で、本当にこれが収穫へとつながるのか、不安になる時もあります。特に今の世の中は結果が直ぐに出ることを求められますから、実りまでの期間があまりに遠く思われると、虚しさを覚えるのです。
 さて、渋川教会は今年、ヨハネによる福音書の講解説教を礼拝で続けています。その中で、「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」(ヨハネ福音書4章35節36節)との御言葉を与えられました。主イエスは伝道という種蒔きをひたすらに苦労に耐えながらされたというのではなく、むしろ蒔いた瞬間に収穫の喜びを知るようになされたのではないでしょうか。当たり前のことですが、種を蒔かなければ芽も出ず、収穫の実りも与えられないのです。陽太郎牧師は『種を蒔く人』を配りながら、104年目の渋川教会のあり様を具体的に思い描かれていたとは考えられません。ただ、蒔かなければ収穫もないことを主イエスの伝道のお姿からご存知であったのではないかと思うのです。伝道を人の事柄としてスケールを小さくまとめるのではなく、神さまの出来事として広いスケール、長いスパンで捉えた時、種を蒔くことと収穫の喜びは同時に与えられるのです。種を蒔く前から不安を覚え、蒔いたらその後の成長を心配に思う私たちかもしれませんが、パウロが語るように「大切なのは成長させてくださる神です。」(コリントの信徒への手紙一3章)と、ある意味無責任とも思えるくらい神さまにお委ねして種を蒔いていきたいと思います。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.108 2022.7.3
【巻頭言】
   「 平和があるように 」

 2月下旬にロシア軍がウクライナに侵攻して4ヶ月が経とうとしています。第二次世界大戦以来の大きな衝撃に世界中が震えあがりました。粗暴な戦車がウクライナの町に入り、その日常を奪う光景に大きな恐怖を覚えた方も多いのではないでしょうか。
私も、夜、子ども達を寝かしつけながら、ついついスマホを開き国内外のニュースサイトを自分の不安に任せながら徘徊しました。兵士となって戦地に赴くウクライナの父親に、男の子が泣きながら小さいこぶしで別離の怒りを訴えている様子を見て、横で何も恐れなくスヤスヤ寝息を立てている我が子の頭を思わず撫でました。
一刻も早い解決を願いましたが、もう4ヶ月が経とうとしています。そして恐ろしいのは、侵攻当初はこの事に関心をもっていた自分が、あちら側の状況は何も解決していないのに、普段の生活を送り続け、いつの間にか関心が薄くなってしまっているということです。
また、今回の軍事侵攻はメディアで多く取り上げられていますが、この他にも私たちの目には触れない所で多くの争いがあり、また難民と呼ばれる人々が住む所を追われて生きています。第二次世界大戦から77年を迎えようとしていますが、何故、私たちは「平和」を掴むことができないのでしょうか。

 一つ、手掛かりになりそうなことがクリスマスの物語の中に見出せるのでご紹介したいと思います。ルカによる福音書2章には、野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼い達に主の天使が近づいたことが記されています。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」と天使は主イエスのご降誕を告げ、ここに加えて天の大軍が加わり、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と神を賛美したと書かれています(14節)。
「地には平和」、うん、そうだ。イエス様が生まれたのだから地上が平安で、争いがなくなるのだ、もちろんそういうことなのですが、ここで書かれている「平和」はギリシア語では「エイレイネー」。これは語源的に言うと「話し合いができる」という意味だそうです。そしてその平和は「御心(みこころ)に適う人」にもたらされるという条件が付いています。
では「御心」、つまり神さまのお眼鏡に適う人間とはどのような人間なのか。才能があるとか、道徳的に正しいとか、努力家であるとかそういうことではないと思うのです。ひたすら自らが罪人であることを知っている、つまり完全な人間ではないことを知りつつ、砕けた魂で神さまに拠り頼んでいく人間ではないでしょうか。天の神さまを見上げず、自らが罪人であることを忘れ、自分の自分たちの正しさのみ力ずくで通そうとしたとき、私たちは人との対話を避け、話し合いができない状態になるのかもしれない。神さまとの関係が破綻した時、私たちは横の関係である人間関係も破綻するのです。

 聖書の時代にも多くの争いがありました。旧約聖書の中には多くの争いの記事があり、読んでいるとその血生臭さに目を背けたくなります。そうした救いようのない世界に主イエスは神の独り子として与えられました。この方を通して私たちは神さまを見上げることが出来、自らの正しさのみに固執することなく、柔らかい心で人との対話に臨むことができるのではないでしょうか。主イエスという存在は真に私たちに平和をもたらす「平和の君」であります。

 3月6日、当教会では「ウクライナと世界の平和を祈る会」を地域の方々にも呼び掛けて開催しました。私は牧師としてウクライナのみの平和を祈ったのではありません。隣国ウクライナの人々を殺すためにロシア兵となり命を落とす人々もたくさんいるのです。国の為政者を批判するだけではなく、私たちはそれぞれが神との対話、人との対話が可能であるか平和の点検をしつつ歩みたいと思います。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.107 2021.11.28
【巻頭言】
   「 穴が開いているから 」

 緊急事態宣言も解け、ワクチンが効いているのかひと頃ほどの感染者よりは少なくなり、それと同時に今まで停滞していた事柄が慌ただしく動き始める中で、しかし今まで同様に出来ないことも多く、ぎこちない日常を一人一人が過ごしている気がします。
乾いて埃っぽい空気の中であれやこれやを片付け、息子を保育園に迎えに行くと、お外で沢山遊んでいたのか頭から靴まで砂埃が付き、赤いほっぺは冷たくカサカサ、芯まで冷える様な赤城おろしの中でもへいちゃらな様子です。手抜きで整えた夕飯を家族で食べ、お風呂に入れて寝かしつける時、息子のカサカサだった肌は柔らかくみずみずしく膨れ上がり、一緒に布団に入ると一冊、もう一冊と絵本を読むようせがまれます。早く寝かしつけて自分も寝たいのですが、これが最後の一冊と約束しながらホカホカの布団の中で子ども達と一緒に物語を楽しむと、ささくれだった母親の心も自然と潤される気がします。

 少し前に子どもの教会の礼拝で『ビーズくん』という絵本を紹介しました(殿内真帆作、福音館書店、2020年)。家の片隅に暮らす黄色いころんとしたビーズくんが主人公です。ある夜、ビーズくんは自分の穴に糸を通してブランコをして遊んでいると、ふと気になりお父さんに聞いてみます。「どうして ぼくには あなが あいているの?」するとお父さんは「つながるためさ」と答えました。「じゃあ、あなが あいていれば、なんでも つながるの?」と再びビーズくんが聞くとお父さんは「つながるさ」と答えました。それを聞いたビーズくん、早速仲間を探しに出かけます。壊れたおもちゃの部品、ボタンやストロー、貝殻や小銭までたくさんの仲間が糸を通してころん、ころん、つーつつーとつながっていきます。つながった、つながった、と喜びながら色んな仲間が増えて、いっぱい遊んだというお話です。

 ビーズくんのお父さんは「つながるため」に穴が開いていると語りましたが、この言葉に一瞬戸惑いを覚えたのです。穴が開いていることは悪いことではないのかもしれない・・・。日々、自分の抱える大小様々な欠点たる穴を発見し、人にその穴を見られたくないと障子紙を貼るような生活をしているのです。時にはその穴を一生懸命埋めることこそが信仰と考えている時もあるのです。毎日が色々と手一杯で、それでも頑張ってこなさなければならず、そうにやってきたことに対して間違いや欠点を指摘されると、たとえ小さいことでも大変に落ち込み、自分がまともに仕事が出来ていないことに苦しくなるのです。もっとちゃんとしなければ、なんて自分はダメなんだ、そう自分で自分を追い詰め、穴を埋めようとしますが上手くいきません。私は私の穴を埋めることが出来ない、つまりどんなに頑張っても完璧な人間にはなれないのです。でもその穴は繋がるために開いている。

 創世記で神は土の塵をこねて人を作られたとありますが、私たち人間は壊れる存在であり、また穴が開いている存在なのです。キリスト教の信仰ということを規定できる者ではありませんが、修行や功徳を積んで穴の開いていない立派な人間になるというより、自分の穴を素直に認め、穴があるからこそお互いに助け合い、人と繋がり、神さまと繋がる信仰かと思います。自らが完璧であることを思うことは大変な罪であり、穴が開いているからこそ主イエスに繋がることを思わされるのです。
新型コロナウイルスの感染予防のために思いもかけず色々なつながりが断たれ、自立して生きていると思っている大人であっても人との繋がりにおいて慰めや励ましを得ていたことを知らされました。自分の穴を認めつつ、この穴が神と人と繋がる所であることを思いながら歩みたいと思います。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.106 2021.7.4
【巻頭言】
  「 傷を抱えながらよみがえる 」

 プランターに植えたキュウリの苗が次から次へと花を咲かせ、面白い形のキュウリを子ども達が楽しんで収穫しています。二回目のワクチン接種を終えたと、ホッとしながら教会でご報告くださる方々も増えてきました。しかし、「変異株」なる言葉に怯え、ワクチン接種が行き渡れば世の中は元通りになるのでしょうか。未だ先の見えない不安な状況に置かれています。

 現在、渋川教会では百年誌の編纂作業が大詰めを迎え、数度にわたる校正と関根兄の編集のご苦労により印刷会社へデータを送る準備を進めています。特に慎重に検討されたのが、渋川教会の歴史を総括する記事でした。
百年に渡る歴史、教会だけの活動に留まらず地域に向けた幼児教育・福祉の働きを文章にして残すのは大変な苦労であり、またそこに現在からみた解釈・批評を試みました。この中には教会にとっては「負の歴史」とも思える様な出来事もあり、それをどう残すのか、いや残さないのか、どの様な表現にするのか、オブラートに包めば済むのか、そういったことで議論を重ねました。過去の傷を蒸し返して残すことは、この教会にとって良いことなのだろうか、牧師として祈りました。その中で私が与えられた御旨は「主イエスは傷を負ったまま甦られた」ということでした。当たり前のことですが、今一度考えたいと思います。

 主イエス・キリストは十字架上で死んだ後、三日目に死人の内より甦られました。しかしイエスの復活は痛々しい傷跡を残したままの姿でした。弟子のトマスはイエスの復活を信じられずに「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない。」(ヨハネ福音書二十章)と疑いましたが、そのトマスに主イエスは現れ「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と傷跡を示して下さいました。
思えばトマスが見たいといった傷跡は、十字架の前から逃げ出したトマスも含め人間の罪のためにイエスが負われた傷であったのです。傷跡が残る、と言うことはそこに主イエスの傷みと私たちの罪があったことの証なのです。忘れられない今更を、取り繕い取り繕い生きている私たちかもしれませんが、自分の罪深さのために、自分も傷つき、他者も傷つけることもあるのです。その傷を無きものにしてしまうと、私たちは自分の過ちを忘れてしまう。
「信じない者ではなく、信じる者になる」とは、罪深い人間同士が傷つけあう中でも、復活の主イエスの傷に己が罪を認めて、他者を許し、傷付け合った者同士も再び主に手を引いて立ち上がらせて頂くことではないでしょうか。

 牧師である私が百年誌の編纂を通して気付かされたのは、大好きな渋川教会だけど、この世にあっては私も含め罪人の集いであり、美辞麗句でまとめた歴史は意味をなさず、また体制的な表現で傷つく方々もあるのではないかということでした。発行の責任は牧師にあるのですが(重い!)、私はこの百年誌に敢えて教会の傷跡を残そうと思います。そしてその傷跡にこそ、私たちが許され、田舎の小さい群れでありながらも教会として建てられている主の御恩寵が輝くと信じます。主イエスの傷に私たちは贖いの恵みを思い、歩みたいと思います。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.105 2020.11.29
【巻頭言】
  「 エッセンシャルワーカー 」

 教会2階の集会室から見える赤城山は、一日一日と紅葉が深まっていきます。庭にあるヤマボウシは葉を赤く染めた後、強い木枯らしの度にカサカサ音を立てながら落ち葉を散らしていきます。せっかく掃き集めた枯葉もこの風のためにあっという間に舞ってしまうのですが、大きなチリトリに再び掃き集め、また風が吹いてこないうちに裏へ運ばなくてはと足を急がせるのです。
京都の和菓子屋さんでアルバイトをしている時、モミジやカエデ、イチョウの葉などをかたどったお干菓子が集められている詰め合わせが「吹き寄せ」と呼ばれ、哀愁漂う可愛らしさに人気があったことを思い出しました。
何があってもこうして時は流れ、自然は季節ごとに変化する。思えば今年は新型コロナウイルスのために、世界中の全ての人々が右往左往し、不安を覚え、混乱の中を歩んだ1年となりました。
我が家には今年小学校に入学した次女が居るのですが、先生も新入生も保護者もすべてマスクを着用して入学式に臨み、その四日後には学校も休校になりました。次女は真新しい筆箱から名前入りの鉛筆を取り出して、出された宿題を家で行いました。授業で教えて頂いた平仮名が「し」と「く」だけで、それを何行もノートに練習して、しくしくしく…、と泣き声が聞こえてきそうな紙面に親も思わずため息をつきました。
いつも通りに事が運ばないことに不満を覚えながらも、ひっ迫する医療体制を思い、自分の命が守られていることを感謝せずにはいられません。2020年の今年、小さい人も大きい人も、みんながそれぞれに頑張りました。
何より感謝しなくてはならないのはエッセンシャルワーカーといわれる方々のお働きです。エッセンシャルワーカーとは医療従事者やスーパー、コンビニ、薬局の店員、介護士やごみ収集員、トラック運転手や郵便配達員など、人々が生活するのに必須な職業を表す言葉だそうです。現場にあり人々の生活のために、正規・非正規関係なく、感染のリスクがある中でも職務に従事してくださったそのおかげで、私たちの生活が守られました。

 こうした状況で今年のクリスマスを迎えます。寒くなり、第三波とも呼ばれる感染の拡大が懸念される中にあり、もしかしたら教会に集うことなく一人一人が離れた所でクリスマスを過ごす状況になるかもしれません。また、自分の仕事の責任を果たすために、クリスマスであっても職場で過ごされる人も居るのです。
でも、もしかしたら本当のクリスマスとはパーティーやプレゼントの中にあるのではなく、そうした私たちの生活の只中に入り込んでくる喜びではないでしょうか。
天使たちは夜通し羊の群れの番をしている羊飼いのもとに降り、救い主のご降誕を告げたのです。宮殿の光の中に喜びがあるのではなく、暗闇の中でも自らの責任を全うする中にクリスマスの喜びは与えられました。羊飼いの働きは、羊にとっても人々にとっても命を繋いでいくのに必要、「エッセンシャル」な働きでありました。暗闇の中にありながらも必要とされる所に主の光は差し込むのです。

 幼子として降られたイエス様は、私たち羊を養い導く羊飼いとして私たちと共に歩んでくださいます。その働きに朝も夜もありません。私たちが償わなくてはいけない大きな過ちを犯した時には、私たちの代わりに十字架に掛かり、罪を贖ってくださいました。時にエッセンシャルな働きは地味で、有難くもなく当然の様に見過ごされてしまうのでありますが、私たちが危機に陥ったときに頼らざるを得ない存在です。
今年のクリスマス、私たちにとって何よりもエッセンシャルな存在である主イエスのご降誕を思い、混迷する世界に希望が与えられるよう祈りたいと思います。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.104 2020.7.12
【巻頭言】
   「YouTubeでの礼拝配信」
   〜 ぜひ、ご覧ください 〜


 新型コロナウイルスによる巷での感染が「収束」とは言い切れない今日この頃ですが、皆様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。この間、それぞれが生活の場で不便な思いを経験したかと思いますが、改めて命を与えられている「ありがたさ」を思います。
特に感染の危険がありながらも医療に携わる方々など、現場においてリモートワークできない多くのエッセンシャルワーカーの御働きに感謝せずにはいられません。目には見えない小さいウイルスが、世界中を混乱に陥れ、文明社会を気取っている私たちでありましたが、人間社会の脆弱さも思い知りました。

 さて、渋川教会も4月19日から5月17日までの間、政府の緊急事態宣言により不要不急の外出が控えるよう要請がある間は、礼拝堂での礼拝をお控えいただき、各自ご自宅など安全な場所で礼拝をお捧げ頂きました。しかし、私はこの非常事態において渋川教会の責任を負う牧師として「礼拝を中止する」という言い方・表現はしませんでした。しちめんどくさいこだわりと思われるかも知れませんが、礼拝は人間が主催するイベント事とは違うのではないでしょうか。
もちろん、今回のように社会の制約を受けることは多くあると思いますが、礼拝の「主催者」は神さまであり、それが中止されることはないのです。礼拝堂で礼拝が出来ない、それは個々人にも起きる出来事であり、病や仕事、看病や育児など日曜日に教会に来ることの出来ないことは誰でもが経験することです。

 渋川教会はこういった方々のためにユーストリームでのインターネット礼拝や礼拝CDの貸し出し等をしてきました。そして今回、スマートフォンでも気軽に礼拝を視聴できるようYouTubeによる礼拝のネット配信を始めました。初めは誰もいない礼拝堂で私一人スマートフォンを洗濯ばさみで固定して、私一人の礼拝の様子をフェイスブックやLINEのグループ通話を用いて配信をしはじめ、その後、役員のS兄がご尽力下さりYouTubeでの安定したライブ配信を可能にしました。
日曜日の10時30分から礼拝のライブ配信を行い、その時間以降もこの動画は残っていて視聴することができます。礼拝堂に皆さんが集える状況になっても、この取り組みは続けていく予定です。この配信を始めて、普段はお仕事の都合で教会に日曜日に来られない方も、後で動画を視聴が可能になり、礼拝の恵みにあずかることが出来る様になりました。遠い場所からの視聴者も与えられ、小さい教会ですが福音の広がりを感じるこの頃です。

 地中海沿岸に宣教活動を行ったパウロは外国で育ったユダヤ人として、ヘブライ語とアラム語、そしてギリシア語を話すことが出来ました。ユダヤ人にはヘブライ語で、異邦人にはギリシア語で福音を宣べ伝えました(使徒言行録 21:37、Tコリント 9:20等)。牧会者であり宣教者であるパウロはその人の文化をふまえ、その人に通じる言語を用い福音を伝えたのです。主イエス・キリストの福音は一つですが、それを伝える方法に制限があってはなりません。時代や地域、文化を越えて福音は広がり続けます。
 渋川教会も日曜日の礼拝を大切に、しかしこの礼拝堂に集えない方々のためにもみ言葉を宣べ伝えていきたいと願います。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵
  


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.103 2020.4.30
【巻頭言】
 「 病によって断たれた交わり 」

 新型コロナウイルスによる影響が拡大し、混乱と不安が世界中を襲っています。自分がこの病気にかかって苦しむことも恐ろしいですが、もし感染したら、社会的に隔離されるし家族や多くの人々にも迷惑を掛けてしまう…、考えただけでも身の毛がよだちます。
最後を看取ることが出来ないままお骨となって帰る姿をテレビで見て、この病は人と人との交わり・ふれ合いを断ち、大事な家族の看取りさえできない恐ろしい病であることを思いました。大事な人のために会ってはいけない、矛盾した不自由な思いの中で、今私たちは生きています。

 さて、ルカによる福音書5章には全身が重い皮膚病にかかった人の話が出てきます。当時、この重い皮膚病にかかると祭司が体の様子を判断し、「あなたは汚れている」と言い渡された者は、人々の住む宿営地の外に独りで出て行き生活しなければなりませんでした。それだけではありません。衣服を裂き、髪をほどき、口ひげに覆われた、非常にみっともない姿になって「わたしは汚れた者です。汚れた者です。」と呼ばわらねばなりませんでした。それがユダヤ教・律法の定めでした(レビ記13章)。
この「汚れ」、ヘブライ語で「ターメイ」とは「不浄」を意味するのではなく、神や人と交わりをしてはいけない、ふれあうことを禁じられている状態を表す言葉です。聖書の時代は2000年以上昔の話であり、医療が遅れていた時代の話であると考えていましたが、今、新型コロナがもたらした状況を見れば、感染者は隔離、濃厚接触のあった者も隔離、あろうことか医療の現場にある人々に対して差別や偏見という、聖書の時代と変わらぬ禍が生じております。
特に感染症の場合、病がもたらすものは身体的な苦痛に止まらず、人とのふれ合いが絶たれ差別を受けるという痛みでもあります。この重い皮膚病の人も、罹患してから長らく人とのふれ合いが断たれ、孤独の中で生きざるを得ず、「わたしは汚れています。私とはふれ合ってはいけません」と叫ばねばならない人でした。

 この痛みと悲しみにある人は、主イエスが来られたことを知ると、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります。」とひれ伏して願いました。そして、イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい、清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去りました。人と直接触れるのは、この人にとって久しぶりのことであったでしょう。「清い」とは、「ターメイ」の反対の言葉で「ターホール」、神さまとの交流や人と人との交わりを許される状態を指します。イエスという方は、神との交わり、人との交わりが断たれている人が、再び交わりを許されるように願い、実現させてくださる方であることが聖書の語る救いなのであります。

 今、親しい家族や友人に直接会いたくても会えない人が大勢います。医療の現場に従事したために差別をされている人が居ます。こうした病がもたらす分断を主イエスは大いに憐れまれ、私たちのこの時代を共に悲しんでいてくださいます。そして、私が直接会うことが出来ない人に、主イエスは手を差し伸べふれあっていて下さる。キリストを信じる者の恵みがここにあるのです。
病は死への恐怖を呼び、恐怖は不安を、不安は区別と差別を生み出します。断たれた交わりを再び回復してくださる主イエスを思い、私たちはこの時代を信仰をもって歩んでいきましょう。これを読んでいる方々のために、私は祈っています。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵
  



不安なこの時を過ごすための10か条
        こどもたちのイラスト
@体が硬くなり、呼吸が浅くなっていませんか。深呼吸を心掛けて、自分に合った方法で体をほぐしましょう。

A先行きが不透明で、心配です。では、もともと、「先が読めていた」のでしょうか。新型コロナウイルス以外にも、生きていく上でのリスクはたくさんあります。今までの不満があるけど、どうにか過ごせていた日常に感謝し、今日を生きましょう。

B目の前のことに集中して過ごします。先を見すぎず、今していること、しなければならないことをします。食事の時は、出来るだけ一口一口を味わって、お風呂にはゆっくり浸かって、空を見たり、自然を観察したり、味わう感覚を出来るだけ心の中で言語化します。

C今までとは違う生活を貴賤、老若関係なく強いられています。しなければならないことが出来なくたって良いのです。出来なかった事を数えるのではなく、出来たことを数えましょう。

Dステイホームで時間が沢山あるのに、したいことが思ったように出来ないこともあるでしょう。自己管理能力が無いことに焦るかもしれません。自分の弱さに気づいたとき、神さまの助けを求めましょう。

Eテレビやインターネット、新聞はいろいろなことを書き立てます。感染者数・死亡者数、どこで発生しているか、馴染みのある有名人の死や感染に心が大きくかき乱されます。自分の今居る場所が安全なら、深呼吸をして、そういった報道から距離を置きましょう。

F非常時に、人間の地金が出ます。他人の醜い所や自分の醜い所に出会うことも多くあるでしょう。自分も他人も弱い者、罪人であることを思い出しましょう。

G危機にある時、多くの人は情報を得ようと詮索します。でも、その情報で何かが救われるのか、常に自分に問いましょう。ここぞという時の野次馬次根性こそ、品性の低い行いです。

Hもちろん、行政や国に文句はたくさんあるでしょう。でも、一批評家になるのでは無く、責任を持った市民として行動します。命の危険に晒されながら診療に当たる医療関係者を思い、リモートでは業務が出来ない多くの「現場で働く方々」が居ることを思い出し、感謝します。

I昔から病は人を死の恐怖へと駆り立て、死への恐怖は不安となり、感染者への偏見と差別を生んできました。この病気は誰でもがかかる病気です。そんなに死ぬことが怖いなら、今を生かされていることに感謝し、生きましょう。死にたくても死ねない、生きたくても生きることが出来ない、人間は命に対して時に勝手です。生きたいから生きているのではなく、命が与えられているから、生きているのです。



 渋川教会からのご連絡

渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.102 2019.11.24
【巻頭言】
 「渋川教会の礼拝堂は広くて…」

 十一月四日、「渋川教会創立百周年記念チャペルコンサート」をボーマン・ベアンテ先生、ボーマン・ルリ子先生をお迎えして開催することが出来ました。
当日は渋川教会の百周年を祝うかのような透き通る秋空、この教会が神さまから愛されていると素朴に感じました。
地域の方々、遠くは埼玉から来られた方々もいらっしゃったと伺っています。会場は補助に入れたパイプ椅子も満席、ご夫妻のチェロとピアノの演奏はその中で始まりました。
チェロの重厚で伸びのある音色とピアノの軽やかさが互いに響き合うといつもの礼拝堂は何倍にも広く感じられ、同時に私は、渋川教会の百年の歴史を思いました。

 一九一九年(大正八年)十二月二五日、栗原陽太郎牧師が伝道不毛の地と言われた郷里渋川での伝道を志され、ご自宅でクリスマスの祝賀を始められたのが渋川教会の始まりでした。陽太郎牧師の思いは教会形成に留まることなく信愛幼稚園を創立され、第二次世界大戦と戦後の混乱の中も教会の営みを続け、幼稚園も再開されました。
ご子息栗原道雄牧師は二代目として、渋川教会が栗原教会でなく「普通の教会」として歩める様にと教会の自立を目指され、信愛幼稚園の運営にも心血を注がれて教会と地域に寄り添われました。

栗原親子二代、七十年間にわたる歩みの後、三代目牧師として生地善人先生が着任されました。教会員の方々も栗原家以外の牧師を迎えて、「教会としての自立、なぐさめの礼拝、社会に目を向けた教会を目指した牧会」がなされたと創立八十周年記念誌に記されています。
五年後に四代目小鮒實牧師をお迎えして新しい霊堂及び牧師館の献堂がなされましたが、小鮒牧師は「信徒の方々が積極的に取り組んでくださっていることによって成り立っている牧会」と、創立八十年誌に書いておられます。組合教会としてこれほど理想的な状態はないかと思われます。
少子化の影響もあって幼稚園の運営にはご苦労が絶えなかった様でしたが、多くの方の協力によって守られました。
その後、奥村眞敏牧師を五代目牧師としてお迎えしますが、幼稚園運営に混乱が生じました。園長の相次ぐ交代と全園児の退園があって、信愛幼稚園は休園に至ります。
教会は代務者として村田元牧師、第六代牧師として西上信義先生をお迎えし、ベテランの先生方のお働きによって幼稚園休園後の混乱と痛みの中も十字架を仰ぐ礼拝を守りました。
第七代牧師には小林則義先生をお迎えし、伝道集会が頻繁に開かれました。
現在、第八代牧師として私共夫婦が牧会を担っておりますが、この様な百周年記念チャペルコンサートの開催は誰が想像できただろうかと、演奏を聞きながら胸が熱くなりました。

 今、コンサートが開かれているこの礼拝堂では、毎週礼拝がささげられ、時には結婚式やご葬儀が行われます。この世の旅路で重荷を負った多くの方々が、その労苦をこの礼拝堂で降ろして行かれました。
教会の兄弟姉妹の思いが分裂する時も、渋川教会は誰を拒絶することもなく多くの人々を受け入れて各々の思いを受け止め、人間の許し・人間の慰め・人間の励ましではなく、神の許し・神の慰め・神の励ましを与えてきました。
お二人の演奏で礼拝堂が広く感じられたのは、実は神さまの懐の広さであったと思わされました。ルリ子先生は演奏後、「神さまは私たちに自由意思を与えられ、強制的に人間の心を操らない。」とお話しくださいました。
この世において私たちが罪深い思いを持つことも主はご存知で、その上で私たちを教会へと導いて下さいます。
創立百年を迎える今、小さい渋川教会は、広い広い神さまの御心をお伝えして参りましょう。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵
  


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.101 2019.6.30
【巻頭言】
     「道雄牧師」

 先日5月4日に渋川教会では栗原道雄牧師・お連れ合いの悦子姉の記念会を行い、その後、初代栗原陽太郎牧師、操姉、陽一先生、岡光子姉と先述のお二人を含めた方々の散骨式を行いました。折しも本年12月25日には渋川教会は創立百周年を迎えます。その歴史の内35年間を栗原陽太郎牧師、続く35年間はご子息の道雄牧師が牧会されました。
陽太郎牧師はその類まれなる行動力とそしてまた先見の明で開拓伝道をされ、道雄牧師は二代目として牧会に当たられましたが、初めからその道を志されたわけではありませんでした。先生の書かれたものを拝見すると思いもかけず大変に弱気な、そしてまた牧師として大変に悩まれている、そのような姿をお見受けします。
それはお若い時だけでなく、牧師としてはベテランと言われる様な時であっても、自信満々で、何かを強く言い切る、ということはなかったと伺っています。しかしそれは牧師として指導力に欠けている、とかリーダーシップが取れない、ということではないのではないでしょうか。

 「たびじ」には牧師以外、教会員の原稿も多く収録されています。そこには道雄牧師が教会員やその家族、地域の方々に心を砕いていたかを知ることが出来ます。人々の人生の岐路と思われる時に道雄牧師は共に立たれました。私もまことに若輩ながら、今、渋川教会の牧師を務めております。
はた目から、客観的に見て、この人はこうしたら良いとか、こういう所がこの人の良くない所で改善すればいいのに、とか、そのようなことを考えたり言うのは大変にたやすいのです。その人より一段上に立ったようなつもりで指導する、それは牧師以外の人も出来ることなのです。でも、それでは、その人の心に寄り添うことは出来ない。道雄牧師は牧師としては大変に辛い作業である、その人と共に悩む、苦しむということをされたのではないでしょうか。

 道雄牧師は「受難節に思う」と題し、このように書かれています。 「私たちも身に覚えのない不幸、災難や病苦、家族や社会の重荷を負わされて不運を嘆いたり神の正義や愛を疑うことがあります。しかし、その時は、苦しい悲しいと思った試練がのちに深い喜びの源となることがあり、いやいや無理矢理に負わされた十字架が実は自分を罪より救ってくれたことを悟ることがあります。十字架なくして復活はなく、聖霊の恵みもありません。聖霊の導きなくして私たちは主を信じることさえできません。愛する人から喜びや楽しみをわかち与えられることも勿論喜びですが、哀しみや苦しみを分かち与えられ重荷を共に担わされることは、更にさらにふかい喜びのはずです。愛しまつる主の弟子たるもの、十字架の主の御心を偲びつつ、主と共に十字架を担わせて頂く光栄にあずかり、それによってさらに主の御旨を深く悟り、生ける主と一層親しく交わり、聖霊の恵みに浴すことのできるこの上ない尊い喜びに与からせていただきたいものです。」(1983年3月発行「たびじ」33号)

 道雄牧師は悩まれた牧師です。ベテランになっても悩まれました。しかし、その心があるからこそ羊たちの弱さをご存じであり、高みから指導するのではなく、共に悩み、また共に哀しんでくださった。道雄牧師が居てくださったからこそ、ただの悲しみが、ただの苦しみが、キリストに出会う瞬間へと変えられていったのではないでしょうか。

 私共が経験する悲しみ苦しみは、キリストに出会わなければ、ただの困難に終わります。牧師の仕事とは、その様な困難をキリストに出会うきっかけへと変えていくことに尽きるのではないかと、道雄牧師のお働きを通して教えられました。何より道雄牧師がキリストに出会われていた、そのことを思い、信仰を深めていけたらと願います。

            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵
  


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.100 2018.12.2
【巻頭言】
   「打ち砕かれた心」

 「主はわたしに油をそそぎ 主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして 貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み 捕らわれ人には自由を つながれている人には解放を告知させるために。」(イザヤ書61章1節)

 ある小学校でのお話です。1年生のクラスで、担任の先生が毎日あったことを一行日記にしてまとめるよう子ども達に指導しました。「うんどうかいのれんしゅうをがんばりました。」等と書いて先生に添削してもらうのです。
その一行日記は帰宅後保護者が確認することになっていましたが、ある男の子が「おれがばかでごめんなさい」と書いて、先生が驚いたそうです。「おれが良い子でごめんなさい」と書き直したら、と先生は彼に言ったそうです。何か家で叱られる様なことがあったのでしょうか。面と向かって言うことの出来ない言葉を、この子は一行日記に込めてお母さんに読んでもらおうとしたのかもしれません。
 しかし、大人になった自分の毎日を振り返ってみると、決してこの男の子のことを笑うことができないのです。毎日楽しく平穏にと思いつつ、そうもいかない日常です。時には予想もしなかったハードルがあり、解決できないような難しい人間関係の中で身動きが出来ずに疲労困憊する時もあります。人の言葉に傷ついたり、逆に傷つけられたり、もう自分ではどうしようも出来ない事態にぶつかった時に、大の大人なんだから心を冷静にして向き合わなければならないのに、そうできない自分に苛立ちを覚え自信を失う時もあります。
もう無理だ、自分には出来ない、自分のいる立場から逃げたくて「わたしがばかでごめんなさい」と、この子だけではない、私も心の中でつぶやいているのです。自信が無いのです。自信って何か。自分を信じること、自分の力を信じることです。困難に出会い、自分の力がない事を思い知らされた時、私たちはどうしたら良いのでしょうか。冒頭で挙げたイザヤ書では「打ち砕かれた心」という言葉が出てきました。
自信を失い、しゃがみ込みそうな心、しかしその心は神さまが包んでくださるとイザヤは伝えます。自分の自信だけでは、努力ではどうもならないことがたくさんあるのです。でも、それで良いじゃないですか。逆に自分は完璧だ、間違っていない、パーフェクトにこなせる、マルチな人間だ、そう思っていると私たちは他人を裁いたり、自分が神さまのようになるのです。
 さて、クリスマスの出来事において神の御子が聖霊によって宿ったことを天使に告げられたマリアは「私の身にそのようなことがありえましょうか」(ルカ1章34節)と答えました。小さな田舎の少女に神の御子が宿りました。大きな不安がマリアを襲います。神の御子の母になる自信、そんなものに満ちあふれていたわけではありません。しかしそのような小さな者であるからこそ、神は御子の母として召されたのではないでしょうか。
思い上がった心にはイエスは宿られない。砕けた心であるからこそ、神さまにより包まれ、自分の小ささを知っているからこそ、イエス様は私たちの心に来て下さるのです。「おれがばかでごめんなさい」でも、いいのです。ばかで良いのです。自分がばかなことに気付いている、自分が小さい者だということを腹の底から分かっている人間は、卑屈になることなく、謙遜にクリスマスの尊さを知ることができるのです。
 今年のクリスマス、自分の小ささを覚え、その小さな私のために主が御子イエス・キリストをお送りくださったことを覚えましょう。神さまはばかな私を愛してくださって大事な独り子を送られたのですから。

             渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵
  



たびじ1号表紙

   「たびじ100号を迎えて」

 渋川教会の教会誌「たびじ100号」が発行できます事を感謝します。
 たびじの発行は1963年(昭和38年)5月の定例役員会で会誌の発行が決められたようです。そして6月20日「たびじ1号」が前橋市の若林プリント様の印刷で発行されました。表紙のイラストに聖書が描かれ「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。(ヘブライ人への手紙12章1節)」と聖句があります。
 また、あとがきに担当された宮崎種司兄は「私たちの日常生活には信仰による交わりがだいじな事ですが教会の多くの方々一人一人と親しく語り合う機会が中々ありません。この会誌がお互いを理解し兄弟姉妹の交わりを深めることが出来れば幸いです。尚、1号は入信のあかしを中心に致しましたが2号は職場と信仰の問題、それに短歌や詩も加えたいと思います。」と記されています。
 私は栗原道雄牧師から渋川教会のはたらきの中に加わりなさいの言葉にたびじ35号位から係になりました。道雄牧師はたびじ編集の働きを通して教会の若手を育てると言う考えがあったように思います。
 たびじは平均して年2回の発行、1号におよそ10名の執筆者、今号でのべ千名の兄弟姉妹が執筆したことになります。その中で最多の執筆は47号まで巻頭言を執筆した栗原道雄牧師です。歴代牧師が執筆する巻頭言はたびじの中心です。今、たびじの巻頭言を執筆する臂奈津恵牧師がこの記録を塗り替えることが私の願いです。
 たびじは52号から衣替えし、今の紙面B5、4段の様式になりました。そして91号から印刷代の節約の為に信徒のパソコン編集により教会印刷機で印刷しています。
 渋川教会の教会誌たびじが150号、200号と発行されていくことを願い讃美歌461番を記します。
「みめぐみゆたけき 主の手にひかれて、この世のたびじを あゆむぞうれしき。 たえなるみめぐみ 日に日にうけつつ、みあとを行くこそ こよなきさちなれ。」
                    大塚 悠平


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.99 2018.7.8
【巻頭言】
「三日坊主から三日クリスチャンへ」

 急な暑さやこの時期には珍しい寒さに体が付いていくのが大変ですが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
今年も半分が過ぎようとしていますが、年の初めや年度の初めに目標を立てるということは私たちが良くすることではないでしょうか。例えば、4月に本屋さんに行くとNHKの語学テキストが平積みになって置いてあります。中学時代に聞いていた基礎英語のテキストやロシア語、ハングルなどアルファベットの読み方も分からないテキストもあり、興味をそそられます。大学・大学院ではドイツ語をそれなりに学んでいましたが、今はその欠片も頭に残っていない寂しさを覚えます。
新年度を迎え、新生活への希望に胸が膨らむと、「よし、今回は挫折しないでドイツ語のラジオレッスンを続けよう。」等と思い、4月号のテキストを購入しますが、いつの間にか古紙回収に出されているのです。その姿を見ると、自分の決心の弱さと向学心の無さ、何より継続力の無さに失望するのです。
俗にこのようなことを三日坊主と言いますが、このようなご経験、皆さんはないでしょうか。調べてみると三日坊主は、僧侶になるために出家したものが、その修行生活に耐えることが出来ず、たった三日で俗の世界に戻ってしまうことからきている諺でした。三日坊主の辛い所は、意志の弱い自分を否が応でも認めなくてはならない所にあるのかもしれません。それをし始めた時にはそれなりの決心や志があるのですが、それがなし崩し的に崩れてしまう…。
こう言った経験が重なると、新しいことをチャレンジする勇気が削がれていきます。あの時のように、またどうせ挫折するんだ、と。そして何か続けてしている人を見ると、あの人は忍耐力があって凄いと引け目を感じたりするのです。
 何かを続けていく、継続力をつけるにはどうしたら良いのでしょう?立派な意志でしょうか?固い決意でしょうか?それとも信仰?等と考えていましたら、「三日坊主でも十回続けたら一か月」という言葉を目にしました。大事なのは、三日坊主になった自分に気付き、またそこから再チャレンジする事。その中で自分のやり易いように工夫が出来たり、続けてきた成果が出てきてやる気も与えられるのかもしれません。
 考えてみればイエス様は三日目に復活されたのです。私たちのやる気がなくなり、自分の意志だけではどうすることもできなくなる時、復活のイエス様の姿が現れるのではないでしょうか。イエス様はご自身が多くの苦しみを受けた後殺され、三日目に復活することになっていることを度々弟子たちに語られていました(マタイ16章21節他)。
私たちが何かを成し遂げようとするとき、それが神の意志に適っており、私たちもそれをやり遂げようと願い続けるなら、困難の先に復活の主イエスは立ちたもうて私たちを立ち上がらせて下さるのです。
 私たちは弱い人間です。心も弱く、一度持った決意も簡単に崩れます。そんな弱い自分を良く知り、復活の主イエスに出会っていくことこそ、三日坊主を乗り越えるきっかけなのかもしれません。三日坊主な自分を認めて、三日クリスチャンとして主イエスの後を歩みたいと思います。
             渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵
  


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.98 2018.4.1
【巻頭言】
  「名を何というか」

 「イエスが、『名を何というか』とお尋ねになると、『レギオン』と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。」 (ルカによる福音書八章三十節)

 我が家では毎日四回から五回、洗濯機を廻す。朝、起きぬけに何はともあれ洗濯機に向かい洗濯物を仕分けしつつ、汚れの少ない物から昨晩の風呂の残り湯を使って廻していく。それにしても、どうしてこんなに毎日洗濯物が出るのだろう。
独身の時は一週間に二回廻せば、結婚したら二日に一回で十分だった。洗濯機を廻す間に子ども達を送り出し、教会の仕事、洗濯以外の家事をする。そうこうしている間にチャラララチャララチャララララ♪と洗濯機の終了音が鳴る。我が家の洗濯機は先々代の牧師からの引継ぎで、大変に高級なメロディーが流れるのだ。
洗濯が終わったら、出来るだけ直ぐに入れ替えて次の洗濯物を廻したい。終了音が流れると、体が自然と洗濯機へと向かい、二回目の洗濯機を廻し始める。二回目を廻し始めるとまた、別の仕事に取り掛かる。再び終了音が鳴ると洗濯機の前に再び向かい、洗濯機にお辞儀をするように洗濯物を取り出し、三回目を廻し始める。
洗濯機の音に操られる私。あれ、洗濯機を動かしているのは私ではなくて、実は洗濯機が私を動かしているのではないか。洗濯機だけではない。電話が鳴ればとらなければならないし、メールが来たら返事を、ラインが来たら既読をつけなくてはならない。
自分が心底したいと思う事、やりたい事より、諸々の事柄に引き回され、結局私の一日は洗濯機に動かされて終わるのではないかと、途方に暮れる日々である。

 さて、冒頭にあげた聖句はイエス様がある男の悪霊を追い出された時の言葉である。男は長い間、悪霊に取りつかれ、衣服も身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。男が何回も悪霊に駆り立てられて荒れ野を彷徨うので、家族も近所の人も困って男に鎖と足枷をつけ監視していた。しかし、男は悪霊に駆り立てられ、その足枷を引きちぎっては荒れ野へまた行ってしまうのだ。
イエス様は悪霊に取りつかれている男に「名は何というか。」とお尋ねになった。男は「レギオン」と答えた。これは当時のローマの軍隊の六千人部隊を「レギオ」(ギリシア語)といい、そこからきた言葉だそうだ。男に取りつき、男を苦しめ、荒れ野へと駆り立てていた悪霊は六千、大勢いたということである。「レギオン」は彼の本名ではなく、様々な物事に駆り立てられ、不自由に荒れ野を駆けずり回る悪霊の多さを物語る名であった。
あれもしなければならない、これもしなければならない、あれはどうなっただろう、この人はどう考えているだろう、私たちの日々の生活は様々な目に見えないあくせくした事柄で六千にも、いやそれ以上に千切れている。荒れ野を駆り立てられて悪霊に連れまわされる彼の姿は、まるで私たちの姿そのものである。
その様な彼に、イエス様は名を尋ねられるのだ。彼の苦しさの原因を主イエスは見抜いて、彼の名を尋ねられたのである。バラバラになっていた人格が、イエス様に名を聞かれることで統合される、束ねられるのである。大事な方の声に気付いた男は正気になり、服を着て、イエス様の足元に静かに座ることが出来たのである。

 洗濯機の終了音、スマホの通知音、子どもの泣き声、玄関の呼び鈴、色々な音にかき回される日常の中で、イエス様が静かに、しかし確実に私の名を尋ねていてくださる。この方の前に座り、バラバラになった私をまとめて頂こう。
             渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵
  


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.97 2017.12.3
【巻頭言】
  「教 会 近 況」

 「喜ぶ人と共に喜び。泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙12章15節)

 アドベントを間近に控え、いかがお過ごしでしょうか。渋川教会の近況をお伝えします。
 2005年から5年間、渋川教会の主任牧師をされた西上信義牧師が7月に天に召されました。78歳のご生涯でした。
渋川教会の後、水戸自由ヶ丘教会に着任され、昨年の4月からは埼玉県の本庄旭教会でご奉仕をされていました。
今年3月、御自宅に招かれた際には実にお元気で、5月に柳瀬牧師が礼拝に伺う話が出ました。その約束が延びて柳瀬が6月に本庄旭教会にお伺いすると、西上牧師がとてもお辛そうだったのに驚いて帰ってきました。
7月2週目からは急遽、柳瀬牧師が本庄旭教会の礼拝説教を担うことになりました。こうした流れの中で、本庄旭教会と渋川教会の両教会において臨時総会が開かれ、柳瀬牧師が西上牧師の後任として渋川教会に担任教師として籍を置きながら、本庄旭教会の主任牧師として招聘されることが決議されました。
10月には本庄旭教会の就任式(関東教区議長 東野牧師)を荒天の中で行うことが出来、渋川教会からもお祝いに兄弟姉妹がお集い下さいました。

 私にとって、西上牧師は伊勢崎教会で洗礼を授けて頂いた受洗牧師です。思春期の多感で悩みが深かった頃、西上牧師は大きく低い声で私のために祈ってくださいました。西上牧師の姿を見て、私は牧師という仕事へのあこがれを抱き、神さまに呼ばれて神学部に進みました。
その後、奇しくも西上牧師が牧会された渋川教会に着任し、先生の近くに来ることが出来たことを喜んでいた私は、西上牧師はまだまだ元気のことと勝手に思っていました。
6月末に私は子どもを3人連れて本庄旭教会の礼拝に出席しました。少し御痩せになっていましたが、それ以外は何も変わっていません。相変わらずダブルのスーツをお召しになり、立子先生、信雄さんと一緒に迎えてくださいました。
先生が説教する礼拝に出席するのはおおよそ20年ぶりです。この間、私は結婚し、牧師となり、伝道牧会の苦労をする中で三人の子どもに恵まれました。
先生はエゼキエル書を力強く語ってくださっていましたが、その語る姿を見ていると、いつの間にか私は高校生の頃に戻っていて、しかし気付くと傍らには3人の子どもが居る不思議な礼拝でした。
正直に告白すると、若い悩みで苦しんでいた時、私は西上先生の祈りにやきもきすることがありました。直ぐに答えが欲しい、そのような焦燥感から先生の祈りを疑うこともあったのです。
もっと恥ずかしい告白をするならば、理不尽な感情や思いを西上先生にぶつける時もありました。牧師のちょっとした言葉のかけ違いに対し厳しく上げ足をとり、批判したこともあったのです。しかし、今思い返すとそういう失礼な私の物言いに対し、先生は怒りを以て返されませんでした。むしろ、常にサンドバックの様に私の悲しさや怒り、辛さを受け止めて下さいました。
今、牧師となった私はサンドバックのようにはなれないのです。その人の痛みに共に耐えるのではなく、安価な傷薬を投げつけている様な牧会をしているのではないかと反省します。喜びと悲しみを共に担ってくださる姿は、まさしく主イエスそのものでした。

 私の伺い知る限り、西上牧師の牧会者としての歩みは平坦なものではありませんでした。特に渋川教会が深く傷んでいる時に西上牧師は着任されたので、そのご苦労は図り知ることができません。
しかし、どのような時も、救いを求めて教会に来る人に対し朗らかでした。先生のお働きを通して多くの方が主イエスのぶどうの木に繋がっておられます。
先生のこの世での多くのお働きに感謝し、私共はこの地上で豊かな実りを実らす毎日を送りたいと思います。
             渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵
  

西上信義牧師と立子夫人
西上信義牧師・立子夫人
(2013年3月28日 渋川教会)



渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.96 2017.7.9
【巻頭言】
 「見つかった十字架」

 教会の改修工事が進んでいる。詳しくは今号の柳瀬牧師が書いた記事をご覧いただきたいが、改修後の活用方法については検討中である。このため1階旧園舎の内部や外の物置などを大々的に片づけた。
閉園後手つかずであった山の様な書類や備品を整理し、不必要と思われるものについては引き取り手を見つけて活用して頂き、劣化が激しいものなどは廃棄処分とした。役員の諸兄姉はじめ多くの方々にご尽力いただいたが、整理をしている中で処遇に困る物が一つでてきた。
外の物置の奥底に置かれていた2メートルほどの木製の十字架である。聞けばこの立派な十字架は教会の屋根の頂点に立てられていたが、根元が朽ちたために十数年ほど前に園庭に落下したそうである。
今は教会外壁に直接十字架が付けられているが、物置に隠れていた十字架は教会のてっぺんに立ってキリストを証していたのだ。

 さて、この大きな十字架をこれから先どこに置いたら良いのかが問題になった。あまりにも立派なので、処分するには惜しいが、保管するとしても場所が必要となる。まさか切り刻んで捨てる訳にもいかない。
どうしたものかと思案していた時、旧園舎のホールの舞台を取り外し床を張り替える工事を行っていた。柳瀬牧師がこの床下に十字架を入れることは出来ないかとひらめき、役員の方々の了承も得て、件の十字架はホールの床下に安置された。
初め、私は十字架を床下に置くことに何だか抵抗があった。物理的な問題より、十字架というキリスト者の大事なシンボルを足元、いや床下に置くなんて粗末な扱いをしているのではないかと。会堂に入れば十字架は講壇の頭上に掲げられ、私たちはそれを仰いで日曜日を過ごすのである。
何とも承服しづらい思いでホールの工事現場に行き、安置された十字架を役員の方々と柳瀬牧師と見た。そこで目にしたのは、床下を支える木材と同じくらい太く、丈夫そうな十字架の姿であった。何よりも十字架という土台が私たちの教会を支えていてくれる、頼もしい思いになった。

 「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」(コリントの信徒への手紙一 三章十一節)。
この御言葉を思い出さずにはいられなかった。
今、ホールの床下に安置された十字架は誰でもない、主イエス・キリストが架けられたそのことを記念する十字架である。十字架に架けられた主イエスが渋川教会の土台となって支えていてくださる。その事を無視しては、どの様に改修工事が行われ、建物がきれいになったとしても、行いは虚しくなるのである。
各室にエアコンが入り、トイレも台所もきれいに使い易くなる。信者に限らず多くの人が集える環境を整える中で、行われる集いが教会のなすべき業としてかなっているかどうか、床下に据えられた十字架に尋ねながら歩んでいきたいと願う。

             渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵
  教会のイラスト


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.95 2017.4.9
【巻頭言】
  「教会の雑用」

 ある教会での話し。教会に行きたいというご婦人からお電話を頂いた。牧師としては新来会者が与えられるのは喜ばしい事であるから、希望をもってその応対をしていた。しばらくお話しをうかがっていると、そのご婦人は以前にも他の教会に行かれていたとの事。しかし、その教会では色々な「雑用」があり、その事で行くのが辛く、また面倒になり足が遠のいたとお話しをされていた。
 なるほど、教会というのは通い始めた頃には皆が暖かく迎え入れ、お客さんとしてもてなしてくれるが、洗礼や転入会を経て教会員になると教会の掃除や礼拝の当番など色々な「雑用」が廻って来る。自分が救われ、魂に平安を得たいから通っていたのに色々な「雑用」を任され、教会内の人間関係に逆に疲れてしまったということもあるかもしれない。教会員のとしての務めも、初めは喜びをもってすることが出来ていたのに、それが喜びではなく負担を感じることもあるのではないだろうか。
 さて、私の初任地の教会では敷地内に付属の幼稚園があり、伝道師である私も必然、幼稚園の仕事が廻ってきた。それ以外にも教会内の数えればきりがない、小さな、それでいてしなければならない多くの「雑用」があり、これが伝道師としての勤めとして相応しいのか、不満を抱くときもあった。ただでさえ面倒くさがりの私であるから、一度面倒と思うと、益々その「雑用」をするのに腰が重くなり、不満が不満を呼ぶようになってきた。何でこんな事を自分がしなければならないのか、いつのまにか気持ちが偉くなっていたのかもしれない。
 そのような時、シスターの渡辺和子さんのこの言葉に出会った。「この世に『雑用』という用はありません。私たちが用を雑にした時に、雑用となるだけです。」教会の庭に落ちているゴミを拾う、これは普通に考えたらどうでも良い「雑用」であるかもしれない。しかし、神さまから与えられている教会の庭を、ふさわしく整えていると考えると、ゴミを拾うことは全く雑用ではなくなるのである。この言葉を頂いてから、気持ちがふっと軽くなり、伝道師としての務めにも明るく応じることが出来るようになった。
 教会内の奉仕に留まらない、日常の色々な雑務が押し寄せて来て、体がついて行かない、心がしんどくなる時がある。イエス様は忙しく立ち働くマルタが姉妹のマリアの怠惰さにケチをつけた時、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」と語りかけられた(ルカ10章41節42節)。ついつい用を雑にしてしまっている時、そして心に余裕がなくて他人を裁くときには、一度立ち止まってこの主イエスの語り掛けを聞きたいと思う。実はしなくても良かった事と本当は心を込めてしなければならない事の区別がつくのではないだろうか。いつの間にか雑用は神さまからの使命を帯びたミッションに変わるのである。心慌ただしく過ごす時、主イエスの語り掛けを聞き、心を整理して、自分と隣人に対して柔和な者となり、主から託された「用」を果たしていきたい。
             渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.94 2016.11.27
【巻頭言】
「遠足のお弁当を忘れて」

 十戒の第五戒は「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。」である。
 小さい頃は大好きなお父さんやお母さんのことを「すごいなあ」と思うことは簡単で、この戒めに窮屈さは感じなかった。
成長し反抗期を迎えると、親について素直な気持ちで「敬う」ということは誰でも難しくなるのではないか。何かにつけ親に対して難癖をつけたがるのである。
しかし、問題はその後だ。自分が実際に親になった今、この戒めを子ども達に守るよう伝えることが難しい。というのは母となった自分は、敬われる要素に欠けているからである。
私という母親は人間的には欠けばかりで、とてもではないが敬われる対象ではない。一緒に生活をしていて外面を取り繕っていられるような関係ではないからこそ余計に難しいのだ。
 先日は長女が、こども園での遠足であることをすっかり忘れてお弁当を持たせなかった。慌てて近くのパン屋さんでパンを買って持たせた母親である。こんな母親のどこを「敬う」ことができるのだろうか。

 さて、十戒は前半の一戒から五戒までは神と人間との関連において定められた戒めである。「あなたの父母を敬え」という五戒も神と人間との関連で定められた戒めであり、単なる孝養の勧めではない。
両親は神が子に対してこれを養育し宗教生活に導くように立てた第一義的な神的代理者である。つまり親は子どもを神さまを信じる人間として育てる存在だからこそ、子は親を敬うことが求められているのだ。

 もしかしたら何か大きな勘違いを犯していて、自分が神になったつもりで自分の都合の良い正しさを子どもに押し付けているのではないか。子から敬われるために自分を立派に見せようとしているのではないか。しかし、この戒めの本来の意味は、親が神なのではなく、親も子も共に真の神さまを見上げるということなのである。

 今、親になった私は、自分の父母が完璧な人間であったとは一つも思わない。むしろ人間的な欠けがあり、苦労を重ねながら育ててくれたその背中を思い出す。
親としての立派な行いを敬うのではなく、自らの欠けを知りつつ神さまから与えられた命を、時には泥臭い仕方で育ててくれた親を敬いたいと思う。
             渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵
  家族と教会のイラスト


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.93 2016.7.10
【巻頭言】
 「地域との
   つながりを紡ぐ」


 2019年に迫る教会創立100周年に向け、役員会では記念誌編纂が決まりました。
その端緒に創立60年から10年毎に纏めた小誌を眺めますと、60年誌の巻頭言で初期の渋川教会について、@使命と情熱を持ちA生活に密着して信仰を捉えB地域に必要な働きを行いC心の問題を問い掛け続けている点で、「完璧であった」との分析があります。(「白河めぐみ学園」山下勝弘牧師による)

 私共は牧師館に入って2年目ですが、どちらの教会に遣わされても地域への伝道に具体的な関わりは欠かせません。幸い昨年には「地域と若い世代への伝道のため」と念じた献金が奉げられ、教会建物・設備の改修を軸とした伝道への備えが役員会方針として共有されました。

まず礼拝の今後を見据えて電子オルガンの導入を臨時総会で決議、喜びを以て奉献礼拝を催しました。1階の旧幼稚園舎についても、トイレ・台所の改修や各部屋へのエアコン導入によって十分活用の途があるとされ、非常に厳しいながら何とか予算(献金額)内で改修を尽す術を模索しています。

渋川教会の建物は、元々平屋の旧会堂兼園舎に2階を被せて礼拝堂を築き広い階下に園舎をも増築した特殊な構造で、設計者が心を尽くされた労作です。70年誌には大規模な増築に至った経緯が記され、当時の会員諸氏の信仰や幼稚園関係者の願いに思いを馳せました。

こうした経緯と信愛幼稚園が地域に親しまれた歴史を踏まえ、園舎や園庭に残る遊具や備品も活かせる様な活動が育つことを願っています。以前の様な働きは無理でも、地域に喜ばれる活動を身の丈なりに為して関わりを深め、地域と共にある信仰の交わりとして教会が親しまれる様、祈ります。

せっかくの広い礼拝堂や旧園舎を群馬地区諸教会の集会に活かす提案もあり、渋川教会員らしい健全な信仰の証と存じます。この実現には会議テーブルやパイプイスが不足ですが、高齢化・人口減少社会の折、余剰備品の提供や貸与のお申し出が授けられないものかと願っております。

 礼拝堂2階のトイレも、和式の洋式化など以前からの改修案と共に、バリアフリーの実現に向けた改修の検討を重ねています。既に備わる階段昇降機に加えて2階トイレにもバリアフリー策を施せれば、礼拝堂が2階の渋川教会が願って来たバリアフリー化が一まず設備面で達成されます。予算の制約に挫けることなく、互いに労り合う暖かい信仰の交わりとして、渋川教会が御心に適い続けることを祈ります。

 役員会で検討中のこれら改修案は、全体協議会(数回予定)を通して会員各位の思いを受け止め、教会としての要望をまとめる総会の決議を経て、施工に入ります。創立100周年を迎えようとする渋川教会の今後の歩みに大きく関わる教会施設の改修が、どうか御心に適って成される様、共に祈りを合わせましょう。

主なる神様に導かれて整えられた教会施設において、教会に集う各位が喜んで関われる様な、渋川・裏宿(地元)の要望を反映した渋川教会ならではの活動が、キリスト教会の業として相応しい形で授けられることを、心から願っています。

              渋川教会 担任牧師 柳瀬 聡


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.92 2016.3.27
【巻頭言】
  「割れるから玉子」 

 ある教会でのイースターの思い出である。玉子探しの準備のために、教会学校の先生と礼拝堂や集会室、庭にきれいにラッピングされたゆで玉子を前日に隠して回っていた。すると去年、隠したゆで玉子が集会室の片隅から見つかり何だかゾッとした。暑い夏も寒いクリスマスも見つかることなく耐えて来たゆで玉子。不思議に外見は腐ることも色も変わらずきれいなままで、何だか不憫だった。

 イースターでどうして玉子が用いられるか。諸説あるが、殻が割れて中からヒヨコが出てくる様子が重い墓石を蹴破り復活する主イエスのお姿を彷彿とさせるから、という説が私は好きだ。
玉子が割れなければ中からヒヨコは生まれない。一つの形に安住し、その中でのみ平安を得ていきたいと思うのが私たちの常かも知れないが、時にその形が壊される経験をする。
平安だと思っていた自分の人生が、思いがけなく崩れる時がある。自分の思うようにならない、そんな時があるのではないだろうか。
自分の力で自分の人生を管理しようともがいても、私たちの人生は私たちの人生であるにもかかわらず、実は自分では完ぺきに管理できない。その様な挫折や困難に出会った時に、つい後ろを振り向いて、過去自らが味わった栄光や喜びに浸り、あの頃は良かった、なぜ今はこうなのだろうと生産性なくつぶやくこともあるかもしれない。
いつの間にか過去は偶像として私たちの心を支配する。

 ヨハネによる福音書は復活したイエスがマグダラのマリアに現れた様子を述べている(ヨハネによる福音書20章11節〜)。
イエスに従うことに生きる意味を見出し、その後に従い奉仕し、イエスが十字架に架けられるその時も彼女は遠くからその様子を無力感の内に見つめていたのではないか。
彼女の力ではイエスを十字架から降ろすことは出来ない。せめて墓に葬られた今、その遺体を確認したい、縋りつきたいと願ったのかもしれない。墓の外に立ち、泣くマリアは身をかがめて墓の中を覗くがそこにはイエスは居なかった。
「わたしの主が取り去られた」と嘆くマリアの背中に「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」と尋ねる声があったが、その声を彼女は園丁と勘違いしてしまう。主の声を聴き分けられなくなった彼女に、イエスは再び「マリア」と声をかける。彼女の背中に声を掛けられたのである。

 私たちが、形あるものや過去に縋ろうと背中をかがめているときに、全く逆から、180度反対方向から、主イエスは語りかけてくださる。
マリアが見ていた墓穴は死者の世界であり、その正反対の命の領域、神の支配からイエスは何度も語りかけてくださる。
マリアのようにその語りかけに気づくことなく、場違いな対応を私たちは繰り返すかもしれない。
その度毎に、主イエスは私たちの名前を呼び掛けられる、「マリア、マリア」と。この声を聴き、振り向いた所に主イエスは立っていて、ようやく主イエスだと分かる、これが聖書の語る復活である。
神が主イエスを死人の中から復活させられたという事件が最初にあって、それが同時に従う者を絶望から希望へ、悲しみから喜びへ、つまり死と滅びの支配から生命の支配へ、愛と信頼の世界へと導く出来事が聖書の伝える復活である。

 玉子とは何か、割れる物である。人間とは何か、完璧でない存在、欠けのある弱い存在である。
主イエスとは何か。復活する方、尽きぬ愛である。割れるから玉子、欠けているから人間、復活するから主イエスである。自らの欠けを認め弱さを自覚する時、自分を縛り付けていた殻が壊され、私たちは主イエス復活の恵みに与ることができる。
この主イエスに私たちは何度も名前を呼ばれ、主イエスにすがりつくのではなく自らの足で立ち上がるよう、手を引いていただく、それが復活の出来事ではないだろうか。

 私たちは誰一人、見つけられなかった寂しいイースターエッグにはならない。暗闇の殻にこもる私たちを、主イエスは必ず見出し復活の恵みに与らせてくださるのである。


            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.91 2015.9.20
【巻頭言】
「泊まる場所がない
       イエス」 


「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
         ルカによる福音書2章6節7節


 渋川教会の牧師館に入居して5か月が経とうとしている。今回の引っ越しに際しては多くの兄弟姉妹にお世話になった。家族四人分の荷物は多く、間もなく入居半年を迎えようとしているのに未だ引っ越しの最中の様な生活を送っている。
しかしありがたい事に、今まで私たちが住んできた幾つかの牧師館の中で今回は一番新しく、きれいで、住みやすい。家の中の整理整頓が済んだら牧師館で家庭集会を開きたいというのが、今のわたしのささやかな夢である。

 牧師になる前、伝道師時代に与えられた部屋はその教会の付属幼稚園の中にあり、私たち伝道師夫婦は賑やかな園舎の一室に住んだ。その教会に着任して間もないころの話である。
伝道師になりたての私は牧会や慣れない教会の事務作業を覚えるのであたふたしていた。

 加えて月に2度ほど葬儀のある教会で、その時も葬儀が重なり、家事もおろそかになっていた。
主任牧師について教会員を病院で看取り、慌ただしく伝道師室に戻り喪服を準備し、かきこむように食事をして教会の事務室で前夜式の準備にとりかかっていた。
すると消防器具を点検する業者が定期的に行っている各保育室の消防器具の点検のためにやってきた。長い棒を使って天井にある煙感知器が正常に作動するかどうか見る。わたしは自分には関係ない事と思い、それぞれの保育室に彼らを案内した。
すると業者の人が「では次にここに入らせてもらいます。」と伝道師室に入ろうとするではないか。いやいや、全く聞いていない。今の我が家は人をお通し出来る様なそんな状況ではない。恥ずかしいから入ってもらいたくないという願いも空しく、彼らは伝道師室に入っていった。
玄関を開けると天井には洗濯物がぶら下がり、ハンガーに吊るされた下着が点検する棒に引っ掛かっていた。夫の下着であることを釈明したい。こんなことならもう少し片付けておけば良かったなあ、と赤面しつつ赤く点灯する煙感知器を見上げていた。

 人を自宅に迎えるならば誰でも綺麗な家に通したいと思うのではないだろうか。大事なお客であるならば普段の家以上に美しく整えて気持ち良くお通ししたいと準備するだろう。
もし、応接室があるならば居間ではなく応接間にお通ししたいとさえ思う。しかし来客は不意に、しかも自分の見て貰いたくない所に訪れるのだという事を私はこの時痛切に感じた。不意の来客が予期せぬ所に訪れる、これはまさにイエスの到来そのものではないだろうか。

 私たちの愛する主イエスは、母マリアより生まれた。主イエスがお生まれになったのは、宮廷でも豪華な産院でもない。
住民登録のために旅の途中であったヨセフとマリアは、宿屋の一室を借りることも出来ず、馬小屋でイエスを生み落し飼い葉桶に寝かせたのである。
人類の救い主は応接間ではなく、馬や羊の匂いや鳴き声のする馬小屋に生まれた。外面を取り繕い、ここなら人を通しても良いという場所ではなく、もしかしたら一番人には見られたくない所に主イエスは来られるのではないだろうか。
人には見せたくない心の暗闇にこそ、主イエスは訪れてくださる。自分では整理することの出来ない思いを誰でもが抱えていることだろう。寂しさや悲しみ、怒りや嫉妬、傲慢や独りよがりといった、信仰者としては大変に恥ずかしい私たちの片付けられない心の部屋に主イエスは入って来られる。
そして暗闇を照らし、み言葉により心を整えてくださるのだ。誰にも通せない部屋にこそ、主イエスを私たちはお迎えし、そのことにおいて救われるのである。

 牧師として兄弟姉妹のご自宅にお伺いするが、時には部屋が片付いていない時に牧師が来たとこぼす方も居られる。しかし、安心頂きたい。皆さんの家は我が家より大抵きれいである。


            渋川教会 牧師 (ひじ) 奈津恵


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.90 2015.3.22
【巻頭言】
「信仰のレースを走る」 

「競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。
競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。・・・むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。
それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。」
(コリントの信徒への手紙T 9章24〜27節)


 パウロは、信仰人生は競技場を走るランナーのようなものである!あるいはマラソンランナーのようなものである!と言っています。
だから「あなたがたも賞を得るように走りなさい!」と勧めています。
そのためには「すべてに節制します!」すなわち自己訓練、自己節制が必要であると言っています。

 私は、かつて、よくフルマラソンに出場いたしました。
フルマラソンに出場して、何らかの理由で、途中落伍することは、悲劇であります。
トレーニング不足か、体調不良か、理由はいろいろあると思います。私もフルマラソンで途中落伍したことがあります。
スタートして、5キロ、10キロ、15キロと快調に飛ばして行きました。しかし20キロを過ぎて足が動かなくなりました。完全なトレーニング不足でした。
 歩いてはならない、と思いましたが、歩かざるを得なくなりました。フルマラソンは歩いたら終わりです。歩いて再び走れることはまずありません。
マラソンランナーの姿をみなさんはご存じだと思います。ランニングシャツとランニングパンツ、それに手袋です。言ってみれば、裸同然の姿で走っているのです。
しかも汗をかいた後、寒風にさらされて歩くことは、まさに悲劇です。

 クリスチャンは、心を集中させ、信仰のレースをゴールに向かってまっしぐらに走る人のことです。
ところが、ある人たちは、何らかの理由で、途中落伍してしまうことがあります。これも悲劇です。
クリスチャンは、十字架上で成就した救いに望みを置いた人たちです。クリスチャンが、走るのをやめてしまう理由は何でしょうか?
それは神を神としない生活、神を第一としない生活に陥ってしまったからです。
「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」ということを第一にする生活に陥ってしまったからです。

 寒風にさらされ30分、私はみじめでした。しかし、私は意を決しました。まさに「自分の体を打ちたたいて」「服従させ」ました。
自分の膝を叩き、膝が真っ赤になりました。すると、何とまだ走れるではありませんか!私はゴールを目指し再び走りはじめました。何度も自分の膝を叩き、自分で自分に鞭を入れ、やっとの思いで、走り切りました。
完走後、それは、ただただ感謝の嵐でした。

 パウロのように、私たちの信仰のレースも、自己訓練、自己節制が必要です。
それはどういうことかと言いますと、祈れること!いつでも、どこでも、祈れること!聖書のみことばを毎日食べること。みことばを味わい、瞑想し、暗記すること!必要なみことばがいつでも出て来ることです!そして感謝をすること!どんな時でも感謝が出来ることです!

 私たちの信仰のレースは勝負ではありません。落伍しないで走り切ることです。
今、困難の中におられる方、「信仰的に」対処し走り切りましょう!
私たちが信仰のレースを走り切った暁には、朽ちる月桂冠ではなく「朽ちない冠」を主からいただくのです!

              (前) 渋川教会 牧師 小林則義


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.89 2014.8.17
【巻頭言】
   「勇気を出せ」 

使徒パウロは
「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」(使徒23章11節)
という使命を与えられました。

 政治と文化の中心であるローマで福音を証しすることとローマのキリスト者と信仰の交わりを持つことはパウロの願いでもあったのです。
しかし、ローマへの旅は海路2700キロ、陸路180キロ、計2880キロの長旅です。それは予想以上に険しく厳しいものでした。まさに命がけの旅であったのです。

 主の働きをする者にとって、この使徒言行録のパウロの思いと自分の思いを重ね合わせることは多いと思います。
主の使命に反対するのは、悪人ばかりとは限りません。善良な人々、真実な人々も反対することはあります。ペテロは受難予告を聞いてイエスに反対しました。
イエスの身内は「気が狂ったと思い」イエスを取り押さえに来ました。
実際、パウロに主の使命が与えられるやいなや、次の朝にはもう悪人たちが集まって、パウロの命を奪おうと計画したのです。(使徒23章12、13節)私たちも同じような経験をしないでしょうか。

 使徒言行録の27章はパウロの困難のクライマックスではないかと思われます。
「向かい風のため」(27章4節)、「幾日もの間、船足ははかどらず」(7節)、「風に行く手を阻まれたので」(7節)、「ようやく・・・「良い港」と呼ばれる所に着いた」(8節)、「航海はもう危険であった」(9節)・・・と次々と困難な状況が襲ってきます。
まるで逆風の中を突き進むかのようです。神のご計画が進むとき、それにあずかる私たちの人生も必ずしも順風満帆ではありません。
むしろほとんどは逆風の中でしょう。道は閉ざされ、環境は最悪となるかもしれません。
しかし、たとえどんなに絶望的な状況にあっても神のご計画は進行していくのです。

 主の働きをする者は誰でも確信を必要とします。困難な状況が襲ってきても自分を見失わないためには確信が必要です。
不愉快な思い、傷つけられる思いをしても、それに耐えて明るく生き、使命を全うするためには確信が必要です。

 逆風をものともしないパウロの確信はどこから来るのでしょうか。
27章24節には「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。」(24節)とあります。
嵐の中でも、祈りのうちに神のみことばを聴くパウロの信仰にただ敬服するのみです。
多くの人は自らの力を頼って困難を乗り越えようとするかもしれません。しかし、パウロの確信はこの神の約束にあったのです。

「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」(使徒23章11節)
確信となる勇気は祈りの内に与えられるものです。そして、パウロは神のご計画の中に自分自身を献げていくのです。

              (前) 渋川教会 牧師 小林則義


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.88 2014.3.30
【巻頭言】
   「聖霊と水泳」

  昨年、私は左肩の「五十肩」と右腕の腱鞘炎で難儀しました。
まず左肩が「五十肩」となり左腕が動かせなくなりました。そして右腕でばかり仕事をしていたら、今度は右腕が腱鞘炎になってしまいました。
単身赴任の人間が、両腕が使えなくなることは悲惨です。やむを得ず週1度通院によるリハビリとプールでのリハビリを開始しました。

 プールは本当に久しぶりで水の感触を楽しむことができました。水泳のコツは力まない。力を抜くことです。ゆったり泳ぐことです。ゆったり泳いで水をつかむことです。水に乗ることが大切です。
聖霊に満たされる。聖霊に導かれる。聖霊に押し出される。私は聖霊の働きと水泳は似ていると思っています。
力まないで力を抜いて、聖霊の導きに委ねる。ゆったりと泳いで水をつかみ、水に乗る。聖霊の満たしを受け、聖霊に乗せられ、聖霊に押し出されて行く。聖霊の満たしを受け、聖霊に乗せられ、聖霊に押し出されて行くことは気持ちのよいことです。
ゆったりと水に乗り、水をつかんで、水に押し出されて泳ぐのにとても似ています。泳げないという方も同じ体験をすることができると思います。川や海で水の流れや潮の流れに身を委ねると、自然に体が押し出されていくことが分かります。

 私は、かつてマスターズの水泳長距離大会に出たことがあります。1500メートルの自由形と400メートルの個人メドレーです。
私はこの400メートルの個人メドレーで溺れそうになったことがあります。
スターズの水泳長距離大会は東京町田市の室内水泳場で毎年行われています。400メートルの個人メドレーとは、最初の100メートルがバタフライです。次の100メートルが背泳ぎ(バック)です。そして平泳ぎ(ブレスト)、最後が自由形(クロール)です。
この時最初のバタフライで、ピストルの合図と同時に周りの選手がみんな飛ばして行きました。私も負けてはならないと飛ばしに飛ばしました。
そしたらどうでしょう。50メートルの折返し地点の手前で失速してしまいました。もうアップアップです。2ストローク1ブレスで無理をして泳いだので息が切れ、もうアップアップです。折り返しで、1ストローク1ブレスに切り替えやっと100メートルを泳ぎ切りました。そして次の背泳ぎでは、「ハアハア」言いながら一生懸命息を整えました。結果は断トツのビリでした。

 力んではいけない!自分の力で泳ごうとしてはいけない!息が乱れたらもうおしまいです。それは長続きしません。途中で息切れし、本当に溺れてしまいます。おしまいです。

 聖霊の満たしを受け、聖霊に乗せられ、聖霊に押し出されて行くのも同じです。
力んではいけません。自分の力でやろうとしてはいけません。聖霊に委ね、聖霊の導きに従うのです。
ちなみに私の「五十肩」は3か月で解消しました。

「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ福音書14章26節)

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1章8節)


              (前) 渋川教会 牧師 小林則義


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ

No.87 2013.9.29
信愛幼稚園 思い出特集号

【巻頭言】
  「主の御計らいを
  何ひとつ忘れるな」


 信愛幼稚園は、8年の休園を経て、今年3月26日群馬県より正式に閉園が認可されました。
信愛幼稚園は、渋川教会が地域に仕えるため、神様から与えられた幼稚園でした。私たちは、このことを覚えまず感謝したいと思います。

歴史をたどると、信愛幼稚園は1924年(大正13年)初代牧師、栗原陽太郎先生を園長として開園いたしました。以来、途中の休園もありましたが、今年3月26日の閉園に至るまで、実に89年間続いてきたことになります。その間の卒園生は2千名を超えると聞いています。
このことは宗教法人の附属幼稚園として、また地域の少子高齢化の中にあって、神様のお守りがあったこととして、私たちは改めて感謝したいと思います。

 詩編103編の詩人は次のようにうたっています。
「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって、聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」
(1節2節)

 「主の御計らい」とは簡単に言うと「主の恵み」「主の良くしてくださったこと」です。別の聖書ではそのように訳されています。
詩人は「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」と言っているのです。詩人は、自分で自分の魂に語りかけています。つまり、詩人は自分自身に向かって言い聞かせているのです。

 私たちは、考えてみますと、すぐに忘れてしまう者です。「主の御計らい」「主の恵み」「主の良くしてくださったこと」をしばしば忘れてしまうことがあります。ですから、この詩人は何一つ忘れるなと自分自身に言い聞かせているのです。

 それでは、「主の御計らい」「主の恵み」「主の良くしてくださったこと」とはどういうことでしょうか。
それは、詩人が言うように、神様が私たちを守り、生かしてくださったということです。私たちの罪を恵みによって赦してくださったということです。
それだけではありません。私たちが経験してきた試練、困難の中にも、「主の御計らい」があるのです。私たちは試練を通して、困難を通して、主の教訓を教えていただくのです。
信仰的に人格的に成長させていただくのです。もっと大きな主の御計画を教えていただくのです。

 「主の御計らい」「主の恵み」「主の良くしてくださったこと」は必ずしもその時、嬉しかったり、楽しかったり、することではありません。そうではなく、むしろ、悲しかったり、辛かったりすることが後になって良いことになることがあります。
このことを私たちは覚えたいと思います。

 「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって、聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」(1節2節)

 詩人は、魂も体も、理性も感情も意志も、すべてを動員して、「主の御計らい」を数え上げています。数え上げていくうちに、全身全霊に新しい力が湧き上がるのを感じて、詩人は歌い上げているのです。

 私たちも、信愛幼稚園をとおして、神様のして下さったひとつ一つの良いことを覚えようではありませんか。そして、そのこと故に神様への大いなる賛美をささげようではありませんか。

              (前) 渋川教会 牧師 小林則義

たびじ 信愛幼稚園 思い出特集号
1924年仮教室時代の園庭に於ける新入園児と保護者。
当時渋川町の幼児人口800余名の内、88名が入園した。
園庭は仮教室から100メートル余の距離にあり、背後の四つのテントの下は、雨天体操場や砂場となっていた。
(「目で見る渋川」昭和56年2月1日渋川市発行より)



渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.86 2013.3.17
【巻頭言】
  「車中のラブレター」

 私は高校時代電車通学をしていました。約一時間の電車通学でした。一時間に電車一本の路線でしたから、いつ、だれが、どこに乗るのかだいたいわかっていました。気の置けない友だちといつも乗り合わせて、学校の様子を話し、またよく一緒に本を読みました。

 ある時、私はひとりで電車に乗っていました。いつものように旺文社文庫の本を読んでいました。するといつからか、ひとりの小柄な女子高生が私の前に立っていました。私は気にも留めず、本を読んでいましたが、ある駅に電車がさしかかると、彼女は突然、私に白いものを差し出し、電車のドアが開くと同時に、逃げるように降りて行きました。それは紛れもないラブレターでした。「私はあなたのことをずっとさがしていました。今日お会いできたのでお手紙を渡しました。・・・」

 それから、私たちの交際が始まりました。彼女は県内の某ミッションスクールの二年生でした。いつも甲府駅で待ち合わせ、喫茶店に入り、散々おしゃべりをしました。私は楽しくて、楽しくて、彼女に夢中でした。そして彼女に誘われ、彼女の家にも遊びに行きました。彼女のお母さんからカレーライスまで御馳走になりました。しかし私たちの交際も私の卒業と同時に自然消滅していきました。彼女からもらったラブレターは、その突然さと「私はあなたのことをずっとさがしていました。・・」という文章が強烈な印象を残しました。

 私は彼女と交際していた時、ちょうどその時、通学の車中では旺文社文庫の「新約聖書」を読んでいました。たまたま兄が持っていたこの本をもらい、通学の車中で読んでいました。しかし「新約聖書」を読んでもよくわかりませんでした。でも何かためになることが書いてないかと思って読んでいくと一箇所だけ惹かれることばがあました。そこだけ赤線を引いておき、それで読むのをやめにしてしまいました。その後、この「新約聖書」から彼女のラブレターより強烈なラブレターを受け取るとは思いもしませんでした。そのことばは、私の人生を引っくり返すことになったのです。

 それは、私が受験勉強をしていた時のことです。高校を卒業し、何年かの社会人の生活を送った後、やはり勉強しなくては、勉強したいという思いに駆られ、会社を退職して夢と希望に満ちて受験勉強をしていた時のことです。私は、食事、トイレ、お風呂以外全ての時間を受験勉強に当てていました。一日に十数時間勉強したでしょうか。でも、とうとう勉強が続かなくなり、力尽きてしまったのです。頼れるものが何もかもなくなり、自分がガタガタと崩れていくのがわかりました。本当に目の前が真っ暗になり、もう駄目だと思いました。

 自分の部屋で悶々としていると、あることばが思い出されました。それは高校時代に車中で読んだあの「新約聖書」のことばでした。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」
   (マタイによる福音書4章4節)

「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。ひとり子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
   (ヨハネによる福音書3章16節)


 愛に満ちたさとしと慰めのことばでした。私は全く新しくされ、もう一度立ち上がることが出来ました。大学に入ることより大切な人生の意味と目的を教えられたのです。こんな強烈なラブレターが他にあるでしょうか。

              (前) 渋川教会 牧師 小林則義


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.85 2012.8.12
【巻頭言】
   「見失った羊」

 そこで、イエスは次のたとえを話された。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」
             (ルカによる福音書15章4〜7節)


 私は自分が迷子になったことはありませんが、自分の息子を迷子にしたことがあります。
当時息子は3歳だったと思います。家族で伊豆に旅行に行きました。確か土肥の金山だったと思います。お土産屋さんで一瞬目を離した隙に息子がいなくなってしまったのです。
5分探しても見つからない。10分探しても見つからない。15分探しても見つからない。周りは人も車も多く、そして近くには水、水路もある。私は肝が冷えるというか、心臓が縮む思いをしました。
私はこのとき、とっさにお祈りしました。「神様息子を守ってください」
しかし20分たっても見つからない。これ以上、交通量も多いので危険だから警察に届けようと思いましたが、でもとっさにひらめいて、こっちの道を行ったのじゃないかと思い捜しに走りました。
300メートル、500メートルでしょうか。何と息子が道路の端を走っているではありませんか。その横をダンプが何台も走り抜けているではないですか。私は駆け寄って息子を抱き上げ、神様に感謝の祈りをささげました。そして息子の無事を妻とともに喜び合いました。

 ここに書いてある「見失った羊のたとえ」の表現は、初め私は少し大げさではないかと思いました。しかし息子の迷子事件があってから、この記事が決して大げさではなく本当であるとよく分かりました。

「見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」(確かにそのとおりです)、「見つけたら、喜んでその羊を担いでいきます」(確かにそのとおりです)、「『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言う」のです。(確かにそのとおりです)

 羊飼いは一匹の羊を本当に大切にします。一匹が迷子になれば99匹をおいて命がけで捜します。ユダヤの世界では、500匹の羊がいてもその一匹一匹に名前をつけているそうです。他人が見るとみんな一緒ですが、羊飼いが見るとその500匹の全部の名前がきちんと呼べるそうです。それで、100匹の中で一匹がいなくなったときは見つけるまで捜し歩くのです。

 私たちは自分のわがままや身勝手で神様から離れてしまうことがあります。そして失敗し動けなくなってしまうことがあります。そんな私たちを捜して、大切にして下さるのがイエス様です。イエス様は神様のみこころを行う羊飼いです。

 羊飼いであるイエス様は、病気になって、もう治療の方法がない、死を待つしかないという人、そういう人の心も捜し求めて来られます。困難に会ったり、失敗したりして、一人ぼっちになってしまった人の所にもイエス様は来られます。そして羊のように捜し出し連れて帰ってくださいます。

              (前) 渋川教会 牧師 小林則義


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.84 2011.11.27
【巻頭言】
 「お金で買えないもの」

 何年か前のことです。私がまだ養護学校に勤めていたときのことです。
ある不動産屋さんから何回も電話で勧誘を受けました。夜遅くまで、あまりに熱心に勧誘してくるので、とうとうお会いする約束をしました。あまりの熱心さ、しつこさに男である私も少し「怖い」という気持ちになり、そして、どんな人物かとその日を迎えました。

 会ってみると、何ときちんとスーツを着こなした若者二人でした。電話で「怖い」と感じさせた人物は紳士的な若者二人だったのです。

 
私は一通りの説明を聞いた後、こう言いました。「どうして私を選んだのですか。」「どこから私の情報を得たのですか。」そのことに若者二人は答えられませんでした。

続いて、私はそんなにお金持ちではないし、お金に執着していないことを伝え、 「私たち養護学校の教員や施設の職員は皆そうです。私たちはお金を必要としているが、お金のためだけに働いている者ではありません。むしろお金で買えないものを大切にしているのです。」と話しました。

「あなた方は不動産、家を勧めてきています。それによって豊かな生活ができると言っています。不動産、家はお金で確かに買えます。しかし、幸福な家庭、暖かい施設の交わりはお金で買えません。」と答えました。

 
私はノルウェーの詩人アルネガール・ボルグの「お金」という詩を思い出しながら、お金で買えないものを次々と上げていきました。
「食物はお金で買えるが、食欲は買えない。」「薬はお金で買えるが、健康は買えない。」「ベッドはお金で買えるが、睡眠は買えない。」「化粧品はお金で買えるが、本当の美しさは買えない。」「友達はお金で得られても、友情は得られない。」「SEXをお金で買おうとする悪い大人もいるが、本当の愛はお金で買えない。」
話が終わると、不動産屋さんの若者二人は黙って帰っていきました。

 
人生にとって大切なものは、お金で買えるものではなく、買えないもの、目に見えないものです。今日の日本を危うくしているものは、経済優先、効率優先というより、むしろ「拝金主義」のような考えです。これがまさに偶像礼拝です。

聖書は次のように言っています。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
    (コリント人への手紙U 第4章18節)

 あなたも聖書から目に見えない大切なものを学んでみませんか。

              (前) 渋川教会 牧師 小林則義


渋川教会報「たびじ」本誌をご希望の方は、渋川教会へご連絡下さい。

このページの先頭へ
No.83 2011.7.17

    「  握  手  」

 手は変わっていきます。手は成長していきます。あなたは今どんな手をしていますか?

 私はいろいろな人と握手をします。久しぶりに会った人とも、毎週会っている人とも「やあやあ、元気ですか、調子はどうですか?」と握手をします。もちろんご婦人とは気軽に握手をしませんが・・・。握手は何か人に連帯感のようなものを与えてくれます。

 ところで、私は握手について恥ずかしい思い出があります。中学二年生の時でした。ある女の子と握手をしたのです。その子は可愛い女の子でした。髪は三つ編みで、みんなからとても好かれていました。

 どうして握手をしたのか理由は忘れてしまいました。ドキドキしながらその女の子の手を握りました。(青春の輝かしい一コマでした!)もちろん合意の上です。本当にドキドキしながら手を握ったのです。

 ところが、手を握ったとたんびっくりしました。どうしてびっくりしたのかというと、可愛い、三つ編みの女の子、みんなに好かれている女の子の手が、なんとごわごわだったのです。ゾウの皮のような手をしていたのです。

 何故、どうして?
 頭の中が一瞬混乱しました。
 やわらかくて、すべすべした手ではなかったのです。
 可愛い顔には似つかない手をしていたのです。

 私はショックを引きずりながら当時の悪友に相談してみました。 「どうしてあの子はあんな手をしているのだ。」
 理由がわかりました。女の子はよく家でお手伝いをしていたのです。お母さんの代わりのような仕事をしていたのです。

 それからは私はその女の子を好きだというより、むしろ尊敬するようになりました。女の子はもう大人の手をしていたのです。

 最近私は自分の手を見て、自分の手もやっとあの女の子のような大人の手になったのだなと思いました。
 手は変わっていきます。手は成長していきます。まず自分のことは自分でするようになり、次に働く手、人のために役立つ手になっていきます。そして最後には育てる手、愛する手へと変えられていきます。

 カルバリの丘の十字架上の主イエスに目をやると、主イエスの手が釘づけられ、そこから流れる血しおを見ることができます。それは、私たちの過ち、罪、孤独、心の傷を背負うためでした。
 私はこの手によって愛され、癒されたのだと思うと同時に、私の手も主の手の代わりをさせて頂きたいと願わずにはいられなくなりました。

「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」(ヨハネの手紙T 3章16節)

 あなたも主イエスの愛と癒しの手に触れてみませんか。

              (前) 渋川教会 牧師 小林則義



このページの先頭へ
No.82 2010.10.17
小林則義牧師就任式
小林則義主任担任教師就任式(2010.6.20)

    「 無 料 点 検 」

 昨日某ガス会社の無料点検を受けた。担当者は約束の時間ぴったりに来た。私は掃除中だったため思わず「ちょっと早過ぎるな」と口にしてしまった。そしたら「それじゃあ近くに別の点検がありますので、そちらを先にします」と言って出かけて行った。私の不誠実な対応に比べ実に誠実で爽やかな対応であった。

 私は一本取られた気持ちだった。それから三十分後、彼は再び来た。言葉遣いは丁重。仕事はてきぱき。話を聞いても、仕事ぶりを見ても、実に気持ちがいい。思わずクリスチャンだろうか、クリスチャンでないなら「敵ながら?天晴れ」と思ってしまった。いつも何かしら工事や仕事に来る人には冷たい飲み物を差し上げていた。しかし今日はそれがなかった。冷蔵庫の中を見ても何もない。缶ジュ−スもない。缶コーヒーもない。この人に何の報酬もあげられない。

 私はしょうがなく丁重にお礼を言い、車が立ち去るのを見送った。しかし湧き上がる感謝の気持は抑えきれず、とうとう派遣先の某ガス会社に電話をしてしまった。来られた人の名前を告げ、是非お礼を伝えてくれるように頼んだ。このようなことは、私にとって初めての経験だった。

 無料点検のサービスというものは何か胡散臭いところがあるものだ。何かにこじつけて有料の修理に結びつける輩は多い。しかしこの人は違った。丁重に説明し、自分の判断ミスの可能性も認め、点検してほしい所、点検上注意することなどを実によく教えてくれた。あまり関係ない水道メーターの見方まで教えてくれた。そして何かあったら連絡を下さいと言って帰って行った。
 服装はもちろん、「専門知識と技術良し」「接客態度と言葉遣い良し」「評価A」である。

 某ガス会社の無料点検の人と比べてはおかしいが、神様も無料の点検サービスを行なっておられる。何の報酬も求めない。全くの無料だ。しかも愛のこもったサービスは完璧である。故障だらけの私たちの心を無料で点検し、しかも無料で修理までして下さる。それだけでなく、永久に修理を保証してくださる。永久の保証書つきである。「評価は特A」いやそれ以上である。

 私たちは無料と聞くとなかなか価値を見出せないときがある。当然だと思うだけでなく、私のように不誠実な態度を取るかもしれないだろう。
 しかし神様からの「無料の愛の点検と修理」は、価値がないどころではなく、価値がつけられないほど尊いということなのだ。無料なのは私たちが支払うことができないほどであるから無料なのである。
 今改めて天の神様に電話をし(お祈りをし)、感謝を込めて「無料の愛の点検と修理をありがとう」と伝えたい。
 そして今度はあの某ガス会社の人のように「聖書の知識良し」「人への愛情良し」「善かつ忠なる僕としての評価A」を目指したい。

「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」(エフェソの信徒への手紙 2章8節)

              (前) 渋川教会 牧師 小林則義



このページの先頭へ
No.81 2010.2.28
2009年クリスマス合同礼拝

 キリストの希望に活きる渋川教会

 私たちの日本基督教団渋川教会は、九十年の歴史の中でキリストの福音によって、生かされ、礼拝を献げ、愛の奉仕をしてきました。
キリストの福音は、神の永遠の独り子である、イエスキリストの愛、十字架の罪の赦し、死に勝利された復活の生命です。

 この福音の愛と生命に活かされて、毎週、日曜日の朝、主日礼拝を献げてきました。礼拝に集い、み言葉を聞き、讃美をし、祈りをささげる人に、神さまの愛の救いがあります。

 日曜朝ごとの「子どもの教会」で、イエスさまの愛の深さを学び、生き生きとした子どもになることが祈りです。

 信愛幼稚園(休園中)は、教会と共にキリスト教の保育をさせてもらいました。2000人に及ぶ、卒園生がおられます。

 私たちは、木曜の朝ごとに聖書研究・祈祷会を開いて、共に祈り、愛すること、平和を創ること、希望をもつことを祈ります。

 また、「婦人会」や「壮年会」、新しく生まれた「つどい」も、大切な愛と生命の交わりを育てます。

 聖書
 「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」

             ヨハネによる福音書 15章

 私たちは、この先の見えない時代の中で、キリストの希望を持つことができます。その希望は、 神さまの愛の中にある自分と家族を見出すことです。そして、心が愛の中で結ばれて、道を見出し、生命の力を与えられて、次の時代まで歩んでいくことです。

 どうぞ、教会へおいでください、渋川教会には、希望と未来への道があります。

              (元)渋川教会 牧師 西上信義



このページの先頭へ
No.80 2009.9.6
栗原陽太郎の書

  喜び、祈り、感謝する渋川教会

 渋川の町は緑に包まれた夏です。 今年は雨の日の多い夏でしたが、それでも、雲の間からさす光は明るく輝いています。
近くの農業をしている方々に作柄を聞きますと、これから日照があれば、稲も作物も実るでしょうと話してくださいます。
これから、喜びと祈りをもって、秋の実りとクリスマスの光へと歩みます。

 渋川教会や共に歩む信仰の家庭に
   「常に喜べ
      絶えず祷れ
    全ての事
      感謝せよ」
            (テサロニケ前五章)栗原陽太郎
の書が飾られています。(上の写真)

 1919年「渋川家庭基督教会」として、この教会が、裏宿の地に創立されて以来、キリストの喜び、キリストの祈り、キリストの感謝を育ててきた教会です。

 「喜び」は日々の生活の中で、神さまの愛を知り、キリストの生命に生かされている喜びです。キリストの十字架の愛によって罪を赦されている心の底から湧き上る喜びです。

 「祈り」は毎日の祈りの中で、神さまの愛を知り、キリストの愛と深く結ぼれている祈りです。祈りの中で希望が与えられます。病の癒しが与えられます。そして、回復の道が開かれてゆきます。

 「感謝」は日々の生命が与えられ、糧を与えられている感謝です。何よりも家族が与えられ、仕事が与えられ、友が与えられている感謝です。
日々に神さまに感謝して生きれば、家族や教会の中に、深い喜びの実、愛の実を結ぶことが出来ます。

 2009年は社会が混迷し、激変してゆく時代です。秋には、社会が変換期を迎えるでしょう。ひとりひとりの生活や家族がもっと大切にされることを希みます。
教育が一人一人の青少年の人格と個性が伸ばされる喜びとなるでしょう。そして、職場に生きる喜びが生れますように。高齢者の方々や子どもたちが安心して生活できる社会となりますように。

☆キリストのくださる「喜び」「祈り」「感謝」は、私たちの魂が、十字架の救いの光に照らされて生れます。

 クリスマス礼拝 12月20日(日)「キリストの喜びと愛に満ちる」に
 お集いください。


              (元)渋川教会 牧師 西上信義



このページの先頭へ
No.79 2008.11.30
イエスさま誕生の絵

 「クリスマスの光を喜ぶ」渋川教会

クリスマスは光の喜びです。幼子キリストの光は私たちの心を深く照らします。そして、一年の悲しみを喜びに、苦しみを慰めと希望に変えてくださいます。

  すると、主の天使が近づき主の栄光が周りを照らしたので、
  彼らは非常に恐れた。
  天使は言った。「恐れるな、わたしは、民全体に与えられる
  大きな喜びを告げる。」   ルカ2章9節

クリスマスは共にいる、愛の喜びです。キリストの永遠の愛は、私たちと共にあって、私たちの心を神様の愛と深く結びつけてくださいます。

  「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
  独り子を信じる者、が一人も滅びないで、永遠の命を
  得るためである。」   ヨハネ3章16節

クリスマスの愛は私たちひとり、ひとりの家族や教会の友の心を深く結びつけて下さいます。キリストの愛(アガペー)は心を深く結びつける愛です。

渋川教会が渋川・裏宿に創立されたのは一九一九年十二月二十五日、クリスマスの集会からであったと伝えられています。

元町の側で穀屋さんを営む栗原家で、最初は紙屋半分教会半分の「渋川家庭基督教会」でした。最初のクリスマスには大勢の子どもたちや近くの大人の方々が喜び集まりました。

そのクリスマスには、栗原陽太郎牧師、操先生がおられ、陽一兄や生まれたばかりの栗原道雄牧師がおられました。

渋川教会のすぐ傍に「駅」がありました。それは、三国街道宿場近く、新潟へ向かう馬車が休み、旅人が憩い、駕寵かきの人々が休む憩いの場でした。幼子主イエスさまのクリスマスにふさわしい場所でした。人々が、温かく助け合って夜を過ごす場所でした。

やがて、信愛幼稚園が創立されてゆきます。それから、八十九年間のクリスマスを祝いました。

クリスマスは神様の愛と生命の救いの喜びです。キリストが馬小屋での誕生から、十字架の丘まで貫く神さまの、罪の赦しと、魂の救いに満ちています。

神さまの独り子・永遠のキリストがベツレヘムの馬小屋にお生まれ下さり、愛と生命の癒しの生涯をたどられます。病の中にある人を慰め、癒してくださいました。そして、世界人類の全ての罪の深さを負い、暗黒の死の閣の中を歩み、神さまの前に罪を打ち破ってくださいました。

クリスマスはキリストの永遠の生命の復活の喜びです。どうぞ、クリスマスには渋川教会においで下さい。親しい人と会えるでしょう。家族と愛の中で深く結ぼれるでしょう。そして、この時代の中で救いの道を備えられ、魂に喜びを与えられ、良き出会いを持ち、生命と希望の二〇〇九年へと共に歩みましょう。

              (元)渋川教会 牧師 西上信義



このページの先頭へ
No.77 2007.10.7
渋川教会のイラスト

  「ぶどうの木」の渋川教会

 わたしたちの渋川教会は、農村伝道に深く関りつつ歩まれた、栗原陽太郎牧師、栗原道雄牧師によって福音の種を蒔かれて育てられた教会です。

信徒の人々も賀川豊彦牧師の指導される渋川民衆高等夜学校で学びつつ、信仰を育てられた人々が何人かおられます。聖書を学びつつ、多角農業の中で、羊を育てて羊毛を織り、山羊や乳牛を飼い、クルミの木を植えて新しい時代を望まれた時代もありました。

渋川教会も福音的礼拝と信愛幼稚園の保育を中心に八十八年間の宣教にあたりました。

祈りの中に「三愛荘」や「子持山学園」の福祉施設を形成される方々も教会と共に歩んでくださいました。今も、キリストの恵の中で、生命を愛し、生命を育てる教会として歩みたいと祈ります。

 聖書
「わたしはぶどうの木あなたがたは、その枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊に実を結ぶ。」  ヨハネ15章

 主、イエスさまは、「わたしは・・・ 」であると7回にわたってお話しくださいました。
 「命のパン」(ヨハネ6章)
 「世の光」(8章)
 「羊の門」(10章)
 「復活であり生命である」(11章)
 「道であり、真理であり命である」(14章)
 「まことのぶどうの木」(15章)
主、イエスさまのみ言葉は、皆、生命を照らし、愛し、育て導く、み言葉です。

 ヨハネの15章の「ぶどうの木」のみ言葉には「つながる」(メネイン、結ぼれる、とどまる)が九回語られていると言われています。

 神さま主イエスさまと深く結ばれている事が大切です。そうするならキリストの十字架の愛によって「清く」されます。

私たちの両手が家族や悲しみや苦しみの中にある人と深く結ぼれている事が大切です。そうすれば「豊な実」を結ぶのです。

 夏期キャンプ(7月)、証の礼拝(8月)、教会修養会(9月)、神学校日、伝道礼拝 (10月)をたどって、クリスマスへ向います。

 神さまが渋川教会とその家庭に愛と生命の実を結ばせてくださいます。

              (元)渋川教会 牧師 西上信義



このページの先頭へ
inserted by FC2 system